インドで開かれた「意識・認知・文化」の国際会議。科学者から僧侶まで幅広い参加者が集まった
インドで開かれた「意識・認知・文化」の国際会議。科学者から僧侶まで幅広い参加者が集まった

インド第3の都市、バンガロールにある国立高等研究所(NIAS)が今月開いた国際会議「意識・認知・文化」に招かれ、動物の認知機能の進化について講演した。国内外から招待された講演者による3日間の会議で、脳科学、認知科学、人工知能という3本柱に加えて、進化生物学や数学、哲学や宗教まで広範な学問分野に及ぶ、極めて学際的な会議である。

最も記憶に残ったのは、ラジェッシュ・ラオさんの講演だ。インド生まれの45歳。米国科学振興財団(NSF)感覚運動神経工学研究所の所長で、シアトルにあるワシントン大学のコンピューター科学・工学科の教授を務める。

脳の機能を、「ベイズ確率」という通常とは違う確率の考え方に基づく独自の理論でモデル化した。機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)や、脳を磁気で刺激する経頭蓋磁気刺激法、高密度脳波計測などを広く使いこなし、情報工学の手法を導入して、人間の脳活動を包括的に理解しようとしている。

発表では、人の脳波を計測してベイズ理論で解析し、その情報を別の人に伝える実験のビデオを披露した。1人がコンピューター画面に映された物を見て「右を選べ」と考える。その信号を解析し、別の部屋にいるもう1人の脳を頭皮の外から刺激する。するともう1人が実際に右を選ぶ。テレパシーの世界がすぐそこまで実現していた。

この実験ではないが、ラオ教授の講演で、脳の表面にある硬膜から直接に脳活動を見る「皮質脳波(EcoG)」の計測装置を初めて知った。てんかんの治療に、頭蓋骨を開けて脳の表面を直接電気で刺激することで発作をやわらげる手法がある。患者の同意が得られれば、治療時に脳の活動を直接記録できる。

患者に「指先でトントンとたたいてください」と指示しておいてから麻酔をかけると、意識を失うと同時に指の動きは止まる。ところが脳の前頭葉の活動は続いていることが、EcoGを測るとわかるそうだ。

植物状態の患者にも応用できそうだ。外から見ているとまったく意識はない。しかし本当にそうだろうか。そもそも意識とは何なのか。それを科学的に取り出すにはどうすればよいか。そんな研究をしているという。

ラオ教授が在籍するワシントン大学には、心理学のアンドリュー・メルツォフ教授と音声・聴覚学のパトリシア・クール教授の夫妻がいる。わたしとは旧知の間柄で、2年前にインド各地を一緒に講演して回った。米科学誌サイエンスに、新生児の表情模倣について報告したことで有名だ。

赤ちゃんを抱いてじっと顔と顔を見合わせ、ゆっくりと舌を出し、ひっこめる。これを繰り返すと、生まれて数日の赤ちゃんも舌を出す。新生児の思いもしない能力に人々が驚いた。以来、近赤外光脳機能イメージング装置など体に傷をつけない装置を使って、赤ちゃんの言語発達や他者の理解に焦点を当てた研究をしている。

もともと英語が堪能なインドの研究者たちは、米国の豊かな研究環境のもと、優秀な同僚に囲まれ、次々に育っている。またインド政府は、彼らを破格の待遇で故国に呼び戻そうとしている。

バンガロールにあるインド科学大学院大学は、鉄鋼や自動車産業などで知られるタタ・グループの創設者が1903年に設立し、すでに100年が経過している。インドのシリコンバレーと呼ばれるこの地に広大な敷地を持ち、約540人の教員と600人の職員、3500人の大学院生がいる。今回の国際会議も、タタ・グループの支援と米印の学術交流のもとに開かれた。

日本をたつ数日前、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんに声をかけられて、理化学研究所の脳科学総合研究センターの年次シンポジウムの特別講演をした。日本の脳科学の最前線を垣間見た。日本の研究もすばらしいと思う。ただ、こうした基礎的な科学研究に政府と民間からもっと厚い支援がないと、21世紀のノーベル賞は勃興するインドや中国などの新興国が席巻するようになると実感した。

日経新聞連載新聞記事『勃興 インドの学際研究』
出典:日経新聞2015年12月27日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第32回『勃興 インドの学際研究』