「サルまね」ということばがあるが、サルはまねをしない。人間に教え込まれた動作を、われわれが「まねている」と勝手に思うだけだ。サルは英語で「モンキー」だが、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは違う仲間で「エイプ」と呼ばれる。エイプというのは、動詞では「まねる」という意味になる。

「学ぶ」という言葉は、まねる→まねぶ→まなぶ、と言葉が転化してきたという。まねることは、学ぶという行為の基礎である。チンパンジーたちはどうやって学んでいるのだろうか。

毎年12月から1月に、ギニアの首都から1000キロほど離れたボッソウという村の近くの森にすむ野生チンパンジーの調査を続けている。今年でちょうど30年目だ。

チンパンジーにも文化があり、地域によって異なっている。何を食べるか、どういう道具を使うか、それぞれの文化で決まっている。

ボッソウのチンパンジーは一組の石をハンマーと台にして、アブラヤシの種をたたき割る。堅い殼におおわれた、アーモンドのような形をした核を取り出して食べるためだ。ボッソウとその周辺のチンパンジーだけが見せる行動で、アフリカのほかの地域ではやらない。世代を超えて引き継がれる文化である。

ボッソウのチンパンジーの子どもが、この文化を学ぶ過程を調査してきた。生後半年ころから、母親の食べているヤシの核に興味をもつ。石にも触る。一歳くらいになると、母親が食べようとする核を横取りする。3歳でも自分で割るのはむずかしく、4歳か5歳ころに、やっと石器を使えるようになる。

母親やおとなはけっして教えない。放っておいても、子どもはまねようとする。手を出してくる子どもに対して、母親は寛容だ。あっちにいけとじゃけんにはしない。いわば「教えない教育・見習う学習」である。

あるときこんなことがあった。その日は野外実験のために森の中に切り開いた場所で、野生チンパンジーの到来を待っていた。そこヘアブラヤシの房を、現地の助手に運んでもらった。

彼はそれを頭に載せて運んできた。西アフリカの人々はしばしば、重いものを運ぶときに頭に載せ、そのクッションとして草の冠を作る。ボッソウではヤシの葉で編む。かぶると安定した台になる。運び終われば用はない。ぽんと地上に投げ捨てていった。わたしはそれに気が付かなかった。

しばらくしてチンパンジーの一団がやってきて、石を使ってアブラヤシの種をたたき割り始めた。すこし遅れて、ファンレという若い母親と、その3歳の息子のフランレがやってきた。先にきていたチンパンジーたちは目もくれなかったのに、フランレは到着するやいなや、目ざとくみつけた草の冠を拾って、ひょいと頭に載せたのだ。そのまま二本足で軽やかに歩き回る。母親はつかまえて止めようとしたが、フランレは逃げまわった。

Image Credit: Anup Shah / www.shahrogersphotography.com 草の冠かぶった子チンパンジー

チンパンジーたちはいつも、木の上で休みながら、道を往来する人々が頭に草の冠をして重い荷物を運ぶようすをみていた。きっとフランレは、自分でも一度かぶりたかったのだろう。

野外での観察なので、この日が最初かどうかはわからない。ただ、普段は森に入らない人間がやってきて冠を落としたので、手に取る機会が生まれたのだろう。

ほかのおとなは興味を示さなかった。母親は人工物を扱うのを止めようとした。子どもだけが、好奇心からするのだと思う。

石器の場合は、台になる石、種、ハンマーにする石の3つを特定の順序で組み合わせないといけない。草の冠は1つしかないから、まねるのは少し簡単だ。ただし自分の頭は、自分には見えない。にもかかわらず正しく自分の頭のてっぺんに冠を載せたのは、草の冠を使う他者の身体と、自分の身体とを重ねて理解できている証拠だろう。

今年は申年だ。日本モンキーセンターは創立60周年を迎える。この機に、発行している霊長類学の英文誌「プリマーテス」の表紙を刷新した。わたしたちが学んだことを報告する雑誌の表紙に、草の冠をかぶって遊ぶフランレの姿をあしらった。ご覧いただきたい。

日経新聞連載新聞記事『草の冠かぶった子の学び』
出典:日経新聞2016年01月03日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第33回『草の冠かぶった子の学び』