Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University ヒマラヤの一角をなすカンチェンジュンガの、標高8350メートル地点を行く
ヒマラヤの一角をなすカンチェンジュンガの、標高8350メートル地点を行く筆者(1984年)

今年から「山の日」という新たな国民の祝日が設けられる。8月11日だ。日付に特に由来があるわけではなく、お盆の間で休みにしやすいことなどから決まったようだ。

「山の日」にふさわしいのは実は5月9日ではないか。1956年のこの日、今西寿雄とシェルパのギャルツェン・ノルブが、標高8163メートルのマナスルの山頂に世界で初めて立った。欧米が独占していたヒマラヤ8000メートル峰の頂に、初めてアジア勢が食い込んだ。

それから60年目の今年4月、長年ヒマラヤの学術登山に取り組んできた京都大学にヒマラヤの学際研究を進める新組織「ヒマラヤ研究ユニット」を立ち上げることになった。

ヒマラヤは南極や深海と並ぶ、地球上の「第3の極地」である。8000メートルの高地の気圧は、平地のおよそ3分の1以下だ。それだけ酸素濃度も低いので、ハアハアハアと普通の3倍呼吸する必要がある。気温も低い。平地がセ氏20度のとき、8000メートル峰の頂上はマイナス28度になる。

わたしが酸素を使わずに登った最も高い地点は8350メートルだ。10回息を吸って、ようやく1歩前に進むことができた。

だが、そんなヒマラヤにも、極限状況を生き抜く昆虫や藻類、細菌がいる。いまだ研究されていない生物たちだ。生物多様性という観点からすればアフリカの熱帯林に勝るものはないが、極地にはそこにしかいない生物がいる。生物の固有性を調べるうえで貴重だ。

ヒマラヤが南極や深海と違うのは、人間の営みがあることだ。南極や深海には研究者以外の人はいないが、ヒマラヤは4000メートルを超える高地まで人が定住し、生活している。

なぜ人間はそんな高地にまであまねく分布するようになったのだろうか。90年春、京都大学学士山岳会は、ヒマラヤの8000メートル峰シシャパンマに、医師らを中心とする医学学術調査隊を派遣した。登頂と同時に、高所での人間の生理などを調査するのが目的だった。わたしも参加し、登山隊長の役を担った。

このときの調査で、ヒトは低酸素になるとすぐにエリスロポエチンという赤血球を増やすホルモンを分泌することがわかった。酸素は赤血球によって運ばれる。赤血球が増えれば、少ない酸素を効率よく利用できる。

一緒に連れて行ったニホンザル2頭にはこのような反応はみられず、標高5000メートルでぐったりしてしまった。

これまでヒマラヤは、欧米や日本にとっては登山の対象だった。50年にフランス隊がアンナプルナに初登頂し、53年には英国隊が最高峰エベレストに登頂。その後も欧米や日本の登山隊が次々と8000メートル峰に挑んだ。チベットにあるシシャパンマが政治的な理由で最後まで未踏だったが、64年に中国隊が登頂した。登山の黄金時代である。

70~80年代は、それまでとは違うタイプの登山が試みられた。未踏の壁や尾根を登る。より気象条件の厳しい秋や、寒さが極限に達する冬に登る。酸素を使わずに登る。シェルパなしで登る。ハーケンという鉄のくぎを岩壁に打って登るので「鉄の時代」と呼ばれる。

90年代以降は「銀の時代」だ。シルバーエイジの登山者がヒマラヤを訪れるようになった。酸素を使えば、80歳でもエベレストに登れるだろう。観光ツアーを利用することで、老若男女だれでもヒマラヤに行ける時代が来た。もはや登山だけをみれば、ヒマラヤに未知の要素はなくなった。

これからは「科学の時代」だと思う。京都大学はこれまで、ヒマラヤ山麓にあるブータンと医学や学術を通じて交流を深めてきた。ヒマラヤ研究ユニットでは、ヒマラヤの生態系と、そこに暮らす人々の防災、文化、教育、健康などについて、文系と理系の研究者が協力して研究する予定だ。

四半世紀前、ヒマラヤ研究の発表の場となる学術誌『ヒマラヤ学誌』を創刊した。山の日が始まる今年、さらに多様な視点から、ヒマラヤのまるごと全体を見る研究の展開を夢見ている。

ヒマラヤ学誌は以下のサイトで読める。https://www.kyoto-bhutan.org/ja/Himalayan/

日経新聞連載新聞記事『ヒマラヤ生態系 解明は未到』
出典:日経新聞2016年02月14日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第39回『ヒマラヤ生態系 解明は未到』