現地の住民の踏み跡をたどって、熱帯雨林の中を進んだ。スコール後のぬかるみが至る所にあり、水たまりから来る蚊がすごい。歩いている私たちに群がってくる。

特に厄介なのはヒルだ。はい上がってきて襟首や袖口から中に入る。立ち止まってシャツを見ると、真っ赤な血に染まっている。つまんでちぎり取ると、たらたらと鮮血が流れ落ちた。

4月、野生オランウータンの調査のために、インドネシアのスマトラ島を訪れた。旧知のマレーシア科学大学のマショール・マンサー教授と、現地インドネシアの北スマトラ大学で霊長類を研究しているオンリザール博士に京大の若い研究者2人を加え、一行5人の旅である。

ヒルは葉先で、おいで、おいでをするように、ゆらゆらと体を前後に揺らしながら獲物を待っている。調査の一番の強敵は、このヒルだった。だがヒルが多いというのは、野生動物が多い森だという証拠でもある。

野生のチンパンジーはアフリカにいるが、オランウータンは世界でボルネオ島と、ここスマトラ島だけにすんでいる。現地語で「オラン」は人。「ウータン」は森。つまり「森の人」という意味である。ボルネオのオランウータンとスマトラのオランウータンは、同じ属だが別の種だ。私たちヒト属サピエンスと、同じヒト属のネアンデルタールくらい違う。

ボルネオ島のオランウータンはすでに調査してきたので、スマトラ島の野生オランウータンと、彼らが暮らす森を見てみようと考えた。

スマトラ島に生息するオランウータンは、約6600頭と推測されている。これまでの研究は、主に同島の北端にあるアチエ州で行われてきた。だが2004年のスマトラ沖地震と大津波で大きな被害が出て、約23万もの人が亡くなった。加えて同州と中央政府との間には、民族の違いや石油など天然資源を巡るあつれきがあり、調査の許可が出なくなって久しい。

そこでアチェ州の南に位置する北スマトラ州で、新たな調査地を見つけるのが旅の目的だ。

まずアチェ州に隣接するグヌン・レザール国立公園に行った。5歳くらいのこどもが道具を使うのを目撃した。

オランウータンは樹上生活する最大の動物である。落下しないように、樹から樹へと慎重に渡る。その子どもは、枝を折り取って作った棒で渡りたい樹の枝先を引き寄せ、もう一方の手でつかんだ。つかんだ枝を枝先から順に手繰り寄せてしっかり握ってから、次の樹に乗り移った。

この地域では、合計で7つの個体を見ることができた。

その後、まだだれも調査していない西部のバタンタロ川の森に入った。スマトラオランウータンの分布の南限である。

オランウータンは樹上に枝を折り敷いて、ベッドを作って寝る。そのベッドを多数見つけた。

姿こそ見ることはできなかったが、おとなの男性のロングコールを聞くことができた。フー・フー・フーと、大きな低い声が、遠く、おそらくは1kmほど先から聞こえてくる。「ここは、わたしのなわばりだ」というような意味の声である。

歩き回るうちに、「どこまで続くぬかるみぞ」という文言が頭に浮かんだ。かつて南洋の島々で行軍した兵隊たちも、きっと熱帯林の暑さと湿気、足を取る泥濘、蚊とヒルに悩まされただろう。

スマトラ島南部の都市パレンバンは、かつてオランダ領インドネシアに日本が進駐したときの基地が置かれた。オンリザール博士の家では、今も日本の統治時代のことが語り継がれているそうだ。戦後70年というが、あの時代を生きた人々は今も大勢いる。

オンリザール博士は40歳だ。戦争の話は、父方の祖父から聞いた。話した祖父も、またその祖父の話を聞いただろう。一世代を約30年と見積もると、人はゆうに5世代150年間の記憶をたどることができる。ほかの霊長類にはない、人間だけが持つ能力だ。

現地の歴史の中に身をおいて、現在を見つめる。そんな野外調査を構想したいと思った。

日経新聞連載新聞記事『「森の人」訪ね あの時代思う』
出典:日経新聞2015年06月07日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第4回『「森の人」訪ね あの時代思う』