Image Credit: Yumi Yamanashi
屋外運動場で頭上を見る母親のアイ(左)と息子のアユム (京都大学霊長類研究所提供)

アイというチンパンジーが私の研究のパートナーだ。アフリカで生まれ、1977年11月に京都大学霊長類研究所に着いたとき、ちょうど1歳くらいだった。いま39歳になる。2000年4月にアイは息子のアユムを産んだ。アユムは今年16歳の誕生日を迎えた。チンパンジーの年齢は1.5倍すると、ほぼ人間の年齢とつりあう。人間でいえば20代半ばの青年だ。

実はアユムと同じ年に、クレオとパルという2人(ヒト科なのでこう数えることにしている)の女の子も生まれた。生まれたばかりの赤ん坊が大人になるまで、3組の母子を身近で毎日のように見続けたことになる。子どもが男か女かによってチンパンジーの母子関係はちがってくる。今回はその話をしたい。

アフリカの野生チンパンジーの女性の一生を調べたことがある。われわれを含めて6つの調査地で、それぞれ数十年間にわたって観察し続けた資料をもとに、534の出産例を解析した。平均すると10代前半に初めて出産する。20代でも、30代でも、40代でも産む。

チンパンジーの場合、約5年に1度のペースで子どもを産む。だから年の近いきょうだいがいない。人間は2~3歳離れた年の近いきょうだいが普通にいるし、年子もいる。しかしチンパンジーは、1人ずつ産んで、大事に育て、手が離れるようになったころに次の子どもを産む。これも人間と違って父親という社会的役割がないから、子育ては基本的に母親ひとりがすべてをこなす。

生まれてから最初の3カ月間、子どもは1日中母親にしがみついて過ごす。濃密な母子関係の中で子どもを育てる。チンパンジーでは死ぬまで産み続けるのが一般的だ。したがって生涯現役なので、孫の世話をする「おばあさん」という社会的役割がほぼない。息子は群れにとどまるが、娘は群れを離れてしまうからだ。

女性は初潮を迎えて出産が可能な年ごろになると、生まれ育った群れを離れ、よその群れに移る。ほぼ10歳前後だ。チンパンジーの母と娘の関係はそこで切れる。新しい群れで出産し、子育てをする。人間のように里帰りすることはない。

その群れによそから移ってきた女性たちが子どもを産む。ただ、それが自分の息子の子どもかどうかはわからない。

これに対し、母親と息子の関係は生涯途切れない。チンパンジーは父系社会で、男性はみな群れに残る。人間のように一組の男女が強い絆で結びつくことはない。男女ともに複数の異性と交わりをもつ。

男性からみれば、生まれてきた赤ん坊は自分の子か、兄弟が産ませたおいめいか、弟妹で、みな血がつながっている。夫婦や嫁姑という関係がない社会で、ただひとつ一生続く強い絆が母親と息子の関係なのだ。

アイとアユムを見ていても、母親と息子の絆の強さを実感する。小さいころのアユムは毎朝9時になると、アイと一緒に勉強部屋にやってきて、コンピューターに向かってさまざまな認知課題を解いていた。10歳前後で、アユムは母親から独り立ちして、群れのおとなの男性である父親アキラのあとについて歩くようになった。群れにいる大人の女性たちのあとを追う。

最近では、アイだけが勉強部屋にいることが多くなった。アユムは屋外運動場で他の仲間と一緒にいる。そんなとき、運動場でけんかが起きたとしよう。すると、アイはすぐに手を止めて耳を澄ます。遠くからかすかな声でもアユムの悲鳴が聞こえると、一目散にかけつけようとする。

ほかに2組の母親と娘がいるが、アイとアユムの関係にと比べるとずっと淡泊だ。男の子でも女の子でも、生まれたときからずっと濃密な母子関係のなかで育つことはまったく同じだ。それなのに、母親と息子、母親と娘の関係は子どもの成長とともに著しく変わる。チンパンジーの父系社会を反映した特性だといえる。彼らの近況をホームページ(https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/)で紹介している。ぜひご覧いただきたい。

日経新聞連載新聞記事『母親と息子 一生の強い絆』
出典:日経新聞2016年05月01日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第50回『母親と息子 一生の強い絆』