Image Credit: Tetsuro Matsuzawa /Primate Research Institute, Kyoto University 寝たきりで床ずれがひどく体重が最も減ったころのチンパンジー・レオ
寝たきりで床ずれがひどく体重が最も減ったころのレオ(撮影:松沢哲郎)

首から下がマヒして寝たきりになったチンパンジーの介護を続けてきた。今年で10年目になる。リハビリの結果、起き上がって両腕でぶらさがれるようになり、自分の足で歩くようになった。その経過を報告したい。

2006年9月26日の朝、24歳の男性チンパンジーのレオが倒れていた。地面に横たわって動けない。大きなけがや骨折はない。磁気共鳴画像装置(MRI)などの検査で、脊髄の頸部に炎症がみつかり、急性脊髄炎と診断された。首から下はマヒして動かなかった。 

チンパンジーの研究と飼育に関わる若い人たちが自発的に集まり、24時間いつも誰かが付き添う体制を敷いた。脊髄の炎症を抑える治療をしながら、点滴で栄養と水分を補った。24時間体制の看護は11月末まで続いた。

寝たきりの生活が長引くと、問題になるのが床ずれだ。なるべく圧力が分散するように、エアマットでベッドをつくり、足や腕をつって、少しでも腰や背中に負担がかからないようにした。すると、つるための布が当たる部分に床ずれが生じた。ひじ、ひざ、腰、背中の部分にこぶし大の傷ができ、皮が破れて膿が出た。57.4キログラムあった体重が12月18日には35.4キログラムに減った。骨と皮にやつれ、血と膿にまみれた凄惨な姿である。

欧米では安楽死させるのが一般的だ。動物に苦痛を与えてはいけないというのが建前だ。人手がかかり、スタッフの疲労は蓄積し、医療費も高額になる。「いつまで続けるのか」という声も聞こえてきた。しかし、介護をする人たちには、そうした意見はなかった。なによりレオがへこたれた様子を見せない。

元気なころ、レオはいたずら好きだった。首から上は正常に機能したので、次第に水や流動食などを飲み込めるようになった。ストローに口をもっていって自分で容器から飲む。飲んだふりをして水を口の中にため、近づいてきた若い女性に「ぷっ」と吹きかける。「きやっ」と驚くと、うれしそうな顔をした。

脊髄の一部は死んだが、生きている神経をリハビリで刺激すれば、ある程度の回復は望める。レオは14ヵ月たったころには自力で起き上がれるようになった。首、肩、腕と徐々に可動域が広がり、ロープを自分で握って座れるようになった。こうなると、ベッド幅の大きさのゲージでは狭すぎる。30ヵ月目に広い部屋を用意した。

なんとか自力で歩けるように回復させたい。介護を通じてレオの信頼を得た獣医師と飼育担当者が2人がかりで下肢をほぐす理学療法に取り組んだ。一人がくすぐったりなでたりしてレオの気をひき、もう一人が固まった下肢を伸ばす。

リハビリの効果を上げるため、コンピューターを使った課題を導入した。画面に出てきた問題を解くと、ごほうびの食べ物が2メートルほど離れた場所の皿に出る。歩かないと食べられない。戻って次の問題を解く。1回に100問出した。往復4メートルなので400メートル歩くことになる。1日に2回、この課題をこなした。

何もしなくても、朝、昼、夜の決まった時刻に食事はもらえる。自分で問題を解いて歩けば、自由に好きなときに食べられる。レオは自主的に取り組んだ。初めは両手でロープを伝いながら、足をひきずって歩いた。次に、両手を松葉杖のようについて足を前に出す。そして尻を地面について腰をふりながら足だけで前に進むようになった。

このほど、3本目の研究論文が英文学術誌「プリマーテス」にオンライン掲載された。「チンパンジーのリハビリ学」という新しい学問の誕生だ。10年の歳月をかけてレオの介護に取り組んだ人々に敬意を表したい。以下のサイトで論文と動画を紹介している(https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/)。

今回で1年間の連載が終わる。読者の皆様と編集部の方々に深く感謝したい。今秋、アイは40歳になる。人間でいえば還暦だ。レオと同様に、対象に寄り添うことで見えてくる科学というのもあるだろう。ともにある暮らしの中から、チンパンジーの老化に伴う変化を見届けたい。(おわり)

日経新聞連載新聞記事『チンパンジー介護の10年』
出典:日経新聞2016年05月29日朝刊  松沢哲郎教授連載「チンパンジーと博士の知の探検」第54回『チンパンジー介護の10年』
1. Sakuraba Y, Tomonaga M, Hayashi M (2016) A new method of walking rehabilitation using cognitive tasks in an adult chimpanzee (Pan troglodytes) with a disability: a case study. Primates Volume 57, Issue 3, pp 403-412 [日本語解説]