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Hirata S, Hirai H, Nogami E, Morimura N, Udono T (2017) Chimpanzee Down syndrome: a case study of trisomy 22 in a captive chimpanzee Primates

平田聡1、平井啓久2、野上悦子1、森村成樹1、鵜殿俊史1   1. 京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリ, 2. 京都大学霊長類研究所

チンパンジーのダウン症: チンパンジー22番染色体異常の報告


Satoshi Hirata, Hirohisa Hirai, Etsuko Nogami, Naruki Morimura, Toshifumi Udono

Chimpanzee Down syndrome: a case study of trisomy 22 in a captive chimpanzee

Primates, , doi: 10.1007/s10329-017-0597-8
Published online Feb. 21, 2017



動画:カナコの誕生日を祝う熊本サンクチュアリのスタッフ(2014年撮影)

概要

チンパンジーの染色体異常の症例を確認した。チンパンジー22番染色体の異常(トリソミー:通常2本である染色体が3本ある異常)である。大型類人猿の22番染色体はヒトの21番染色体に相当する。よって、本例はヒト21番染色体トリソミーに相当する。ヒト21番染色体トリソミーはダウン症を生じる。本報告のチンパンジーでは、発達遅滞、先天性白内障、眼振(意思とは関係なく眼球が動くこと)、斜視、円錐角膜(角膜の変性)、先天性心疾患、および歯の欠損が認められた。いずれもヒトのダウン症に特徴的な症状である。チンパンジーの22番染色体トリソミーとして世界で報告された2例目となる。本報告のチンパンジーは7歳までに視力を失ったため、普通の社会生活を送るのが困難になったが、定期的に他のチンパンジーと同居させる機会をもうけている。福祉に配慮して、生活の質を維持するケアを心がけている。


1.背景

ヒトのダウン症は、21番染色体が3本ある(通常は2本)染色体異常によって引き起こされる。21トリソミーとも呼ばれる。21トリソミーはヒトの染色体の異常の中でもっとも頻度が高いものであり、600人に1人程度の割合で生じるとされる。ダウン症は、体の発育の遅れ、認知発達の遅れ、身体的障害が生じるのが典型的である。1969年にアメリカでチンパンジーにおいてダウン症に似た症例が報告された。チンパンジー22番染色体のトリソミーの例であり、このチンパンジーでは発達遅滞と先天性心疾患が見られた。その後、ゴリラとオランウータンでも同様の22トリソミーが報告されている。ヒトの染色体は23ペア46本であるのに対して、大型類人猿(チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)の染色体は24ペア48本である。大型類人猿の22番染色体はヒトの21番染色体に相当する。ヒトのダウン症では21番染色体のq22.3バンドと呼ばれる部分が重要であるとされるが、この部位はチンパンジー・ゴリラ・オランウータンの22番染色体上に存在することが確かめられている。


本報告では、京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリで飼育されているメスのチンパンジーの22トリソミーが確認されたことを報告する。このチンパンジーは、体重が平均より大幅に軽く、先天性白内障、先天性心疾患、歯の欠損があるなど、ヒトのダウン症と類似の症状が見られた。


2.研究手法・成果

報告するのは、京都大学野生動物研究センター熊本サンクチュアリのチンパンジー、カナコである。カナコは、1992年6月2日に国内(熊本サンクチュアリの前身の施設)で生まれた。カナコの母親はカナエ、父親はタロウであり、ともにアフリカ野生由来である。カナエは1979年生まれ、タロウは1977年生まれと推定される。カナコ、カナエ、タロウの3者とも西アフリカチンパンジーの亜種に属する。


カナコの出産には特に問題は認められず、正常な自然分娩で生まれた。母親のカナコにとっては第2子目であり、初産はその2年前だった。父親のタロウはカナコの前に7個体の子の父親となっていた。母親のカナエと父親のタロウの子どもたちは、未熟で生まれて生後間もなく死亡した1例を除いて、カナコ以外にはすべて正常で健康に育った。カナコが生まれた時、母親のカナエは13歳、父親の太郎は15才であり、チンパンジーとしては比較的若い部類の親である。母親の性周期の記録から、カナコは230日の妊娠期間ののちに生まれた。チンパンジーの妊娠期間として正常の範囲内である。


カナコの出生直後の体重は1940グラムだった。チンパンジーの新生児の平均体重が約1800グラムであり、平均よりやや重いことになる。出生直後の飼育日誌に「やや元気ない。手足がダランとしている。声をあまり出さない。」という記録がある。生後156日齢で母親の健康診断のため母親を麻酔して一時母子分離したが、母親の麻酔からの覚醒時に問題が生じ(舌を噛む)、母親が治癒するまでカナコを人工保育した。4日後にカナコを母親に戻したが、抱こうとせず育児拒否した。その後カナコは飼育員が人工保育で育てることとなった。カナコの0歳齢において咳や鼻水、下痢、目の周囲の腫れなどが見られたが、いずれも健康なチンパンジーの赤ちゃんにも生じることである。行動発達について客観的な検査はおこなわれていないが、当時の飼育日誌には目立った異常の記録はなく、あとで白内障が見つかるまでは、ほぼ正常の範囲内の行動発達だったと推測される。筋緊張低下と関節可動域増大(いずれもヒトのダウン症の典型的な特徴)について科学的な診断はおこなわれていない。


5歳ころから体重増加が緩やかになり、健常なチンパンジーに比べて顕著に小柄になった(図1)。上顎の第2小臼歯および第3大臼歯のすべてが欠損している。

図1:カナコの体重変化(実線)と、同じ場所で飼育されている他の女性チンパンジーの体重変化(灰色点).


生後305日齢で左目の白色瞳孔、352日齢で右目の白色瞳孔が認められた。354日齢の飼育日誌で、口先で食べ物を探す旨の記述があり、視力が低下していることが明らかとなった。358日齢の眼科検査で白内障が確認された。


2歳の時に白内障手術をおこなったが、術後炎症により瞳孔ブロックを起こし緑内障となった。白内障手術から4か月後に緑内障手術をおこなったが、その後も緑内障は進行した。また、円錐角膜を生じた。斜視と眼振も認められた。7歳に左角膜が完全に白濁した。右目も7歳までには混濁が進み、最終的に委縮して機能を失った状態となった。手さぐりで物を探すようになり、7歳までには視力を失ったと判断した。


カナコが22歳の時に健康診断で心エコーをおこなったところ、心房中隔欠損(右心房と左心房の間を隔てる筋肉の壁がない状態)が確認された。その後、同じく22歳の時、血液を採取して染色体の検査をおこなった。その結果、22番染色体が3本ある染色体異常が確認された(図2)。血液の一般的な生化学検査ではその他の異常は見つかっていない。

図2:カナコの染色体。緑色蛍光の22番染色体が3本存在する。


カナコは目が見えないため、他のチンパンジーと社会生活を送るのが困難である。他者との社会交渉を適切におこなうのが難しく、ケンカなどが生じた際に逃げることができないためである。しかし、チンパンジーは本来社会的な生き物であり、できるだけカナコにも良い環境を提供するように心がけている。同じく熊本サンクチュアリに暮らすロマンという名の野生由来の女性チンパンジーが温和な性格のため、ロマンとカナコを月に1回ほど定期的に同居させている(図3)。カナコとロマンの同居は、カナコが18歳の時に開始した。はじめは隣室同士で窓越しにお見合いをおこない、こうして3回ほどお見合いをおこなってカナコとロマンが良好な関係であるのを確認したのち、両者を同じ運動場や居室で同居させることにした。1回の同居は30分から1時間程度で、常にスタッフの1名(野上悦子)が調整役として同室している。同居開始当初からロマンはカナコに対して友好的だった。ロマンがカナコをグルーミング(毛づくろい)しようとしたり、追いかけっこに誘おうとしたりした。ただし、カナコがあまり反応しないのでやり取りが成立することはほとんどなく、カナコのほうからロマンに触れようとすることはほとんどない。お互いに隣同士に座って、何をするわけでもないが、並んで時間を過ごすことが多い。カナコは、ロマンとの同居が始まる物音がすると、グフグフグフという独特の音声を発する。この音声は、ほかに、おやつをもらうときや、スタッフが遊びに来た時に発するものである。したがって、カナコはロマンとの同居を楽しみにしているようである。

図3:カナコ(右)とロマン(左)の同居の様子


以上、チンパンジーの22番染色体トリソミーとして世界で2例目の報告である。野生チンパンジーにおいてダウン症が疑われる障害が報告されたことがあるが、この野生の例では染色体の検査はおこなわれていないので、トリソミーかどうか確定されていない。日本で飼育されているチンパンジーで、同様の例は我々の知る限り存在しない。そもそも飼育チンパンジー全体の母集団が少なく、その中で頻度が低い事象の多寡を厳密に論じるのは難しいが、これまで日本国内で生まれたチンパンジーが約500個体であることを考えると、チンパンジーの22番染色体トリソミーの発生頻度はヒトのダウン症(多く見積もって600人に1人)と同程度ではないかと思われる。本報告のカナコは、小柄な体、先天性の白内障ほかの眼球異常、先天性心疾患、歯の欠損など、ヒトのダウン症でよく見られるのと同様の症状を示している。チンパンジーのトリソミーとして最初に報告された例(1969年サイエンス誌)では、座る・四足で動くなどの行動の初出が健常個体より遅れる行動発達遅滞が見られている。本報告のカナコでは、そうした行動発達の検査がおこなわれていないので不確定であるが、当時の飼育日誌に特に異常の記述がないことから、顕著な行動発達の遅れはなかったのではないかと考えられる。カナコは約1歳から上述のような眼球の疾患を示して目が見えなくなったために、1歳以降の行動に関しては、染色体異常に起因するものか、あるいは目が見えないことに起因するものかの判別ができず、行動発達遅滞に関して結論づけるのは困難である。チンパンジーの22トリソミーとして最初に報告された個体は約2歳で死亡した。カナコは現時点でも生存している。カナコが天寿を全うするまで、福祉に配慮して生活の質を維持するケアをおこなう。熊本サンクチュアリは、過去に医学研究に利用されたチンパンジーが余生を安寧に暮らすことを設立趣旨として発足した。カナコのように障害をもったチンパンジーも含めて最善のケアをおこなうのが責務であると考えている。


3.波及効果と今後の予定

世界で2例目のチンパンジーのダウン症として、ヒトの医学においても参考になる症例報告である。今後の行動観察などにより、ヒトのダウン症との類似点や相違点などが明らかになれば、ダウン症をよりよく理解することにつながると期待できる。また、ヒトの疾病全体を見渡すと、ヒトに特有のものから、ヒト以外の動物にもみられるものまで、様々である。ヒトにおける疾病とその対処について、ヒトに最も近縁なチンパンジーとの比較によって、より理解が深まると考えられる。

今後は、カナコが天寿を全うするまで最善のケアで飼育をおこないつつ、詳細な行動観察をおこなう。


英文概要

Our understanding of chromosome aberrations in humans can be significantly enhanced by studying similar pathologies in our closest evolutionary relatives.


Here, we report on the second ever confirmed case of chimpanzee chromosome aberration equivalent to human Down syndrome, this time at Kumamoto Sanctuary, Wildlife Research Center, Kyoto University. Developmental features that are characteristic of Down syndrome in humans were also observed in the chimpanzee, however, unlike the first reported case, this chimpanzee survived into adulthood.


We attempt to improve the quality of life of this chimpanzee, through providing and managing opportunities for normal social interaction. Such efforts are seen as key in caring for disabled chimpanzees in captivity.