子どもはお絵かきが好き

人間の子どもはお絵かき好きだ。1歳半ごろまでには,手にペンや鉛筆をもって紙に線を描きつけるようになる。私の子どもたちも1歳を過ぎたころにはお絵かきが大好きになった。はじめのころのお絵かきは「なぐりがき」と呼ばれる。ぐちゃぐちゃの線にしか見えないものだ。どうやってほめればよいのか悩むような代物だが,子どもはとても満足げだった。子どものお絵かき好きはその後も衰えることなく続き,長男は3歳4カ月のとき,はじめて人間のように見える絵を描いた。人間の子どもはだいたい3,4歳のころに何が描いてあるかわかる具象画を描き始めると言われている。時期的にもちょうど一致するころだった。

チンパンジーのお絵かき

大型類人猿が自分から進んでお絵かきをすることは,半世紀以上も前から知られている。ペンや絵筆と紙を渡せば,彼らは紙に描きつける。そこで残されるものは,お絵かきをはじめた子どものものと変わりない「なぐりがき」である。ただし,描き手による個性は見られる。ちびっこチンパンジーたちの母親,アイやクロエ,パンたちのお絵かき作品も三者三様の個性が見て取れるものだ。アイは太い線でなめらかな長い線で紙全体を塗りつぶすように描く。クロエは太い線や細い線,長い線や短い線が混在する変化に富むタッチが特徴的だ。パンは短い線を多用し,塗りつぶさずに余白を残して描く(アイたちが描いた作品がこちらでもご覧いただけます)。チンパンジーの中には,すぐに飽きてしまう者もいるが,3人とも比較的熱心に描く方だ。ただし,描いている最中も描き終った後も,淡々としている。人間の子どもと違って,描いたものを周りの人に見せるようなことはしない。

彼女たちの子どもであるアユム,クレオ,パルのお絵かきはどうだろうか。彼らが1歳を過ぎる頃から継続して調べている。アユムたちは,生後数カ月から,母親がマジックペンを使って紙にお絵かきをしているところを見ていた。しかし,生後1年を過ぎても,まだお絵かきに対する興味は湧かないようだった。母親が使っているペンに興味をもち,かじるなどして探索をするばかりだった。そこで,アユムたちが勉強に使っていたタッチパネル付きのノートPCを使うことにした。真っ白な画面に指で触れると,その場所に色がつくようにして,チンパンジー母子に提示した。今までの勉強とは違った画面を出されて,クレオとパルは尻込みしたが,アユムと母親たちはすぐに触りはじめた。触ると画面に色が付く。画面に触れたまま指を動かすと線が描ける。興味深げに画面に触れていた。クレオとパルも,母親が触りだしたのを見て,自分でも触るようになった。何日か続けているうちに,母親が飽きて触らなくなっても,ひとりで画面に向かうようになった。勉強と違って,画面に触れても食べ物はもらえないが,装置を見せるたびに触りに来た。点や線だけでなく,小さな円も描いた。しかし,おとなが見せるような,なめらかに画面を往復する長い線は見られず,多くは引っ掻いたような短い線だった。馴れてくると,自分が描いた線に交差するように線を描き加えることもあった。

お絵かきに必要な能力

お絵かきをするには,自分の行動(画面に触れる)と,その結果(画面に残る点や線)の関連を理解する必要がある。長い線や円などを書こうとすれば,画面に残る線を見ながら自分の腕や指を動かす必要がある。これらのことは,1歳1カ月のチンパンジーでもできるようだ。しかし,相変わらずマジックペンを持つとかじるばかりで紙に描こうとはしなかった。結局アユムやパルがはじめて紙にお絵かきをしたのは1歳8カ月を過ぎてからだった(図1)。物を持って他の物に触れる「定位操作」が急激に増加した時期とちょうど一致していた(第11回参照)。また,はじめて道具を使えるようになったのもこの時期だ(第6回参照)。お絵かきをするには,自分が見たものに応じて手を動かす運動の協調能力だけでなく,道具を使うための知性も必要というわけだ。人間の子どもで定位操作が急激に増えるのは10カ月以降と言われており,チンパンジーよりずっと早い。しかし人間ならまだようやく立つことができるくらいの時期で,同月齢のチンパンジーがすでにひとりで木登りや腕渡りをしているのと比べると,こちらの発達面は大きく遅れをとっている。お絵かきとして現れる時期にはチンパンジーと人間でそれほど差はないが,必要な能力の発達の順序に大きな差があることがわかる。


図1 筆でお絵かきマジックベンでお絵かきをするパル1歳8カ月

お絵かきをしたいと思う気持ち

お絵かきについて,もうひとつ違いがあることがわかった。それはお絵かきに対する興味の違いだ。チンパンジーと同じ課題を,2歳前後の人間の子ども20人にもやってもらった。描かれるのは,チンパンジーと大差のない「なぐりがき」だった。しかし,記録された点の数は,人間の子どもの方が2~3倍も多かった。チンパンジーの子どもたちははじめ興味をもって画面に触れていても,20~30秒もすると離れてしまったが,人間の子どもたちはほとんど全員が時間いっぱい画面に触っていた。

チンパンジーの子どもたちには,その後も半年ごとにお絵かきの調査を続けているが,やるたびに興味を失っていくように見える。発達的変化は見られる。初めの頃には見られなかった,母親が描いたような長い連続的な線も見られるようになった。しかし,すぐに興味をなくして画面に触らなくなる。人間の子どもがいつまでも飽きずにお絵かきを続けるのと対照的だ。ちびっこチンパンジーたちは,運動場でレスリングや追いかけっこをしているときには,10分でも20分でも飽きずに遊んでいる。彼らにとって,お絵かきは,その行為自体が楽しい「遊び」にはなっていないらしい。その一方で正解すればごほうびに食べ物がもらえる勉強は毎日熱心に続けている。毎日決まった時間に同じ勉強を続けることは苦にならないらしく,自ら進んで勉強部屋に行こうとする。勉強自体が好きなわけではないらしい。課題が難しいときには,勉強をせずに,ひとりで毛づくろいをしてごまかしていることもある(第30回参照)。お絵かき課題のときにも同じような態度をとる。お絵かきへの興味を背景にした,取り組み時間の差が人間とチンパンジーの大きな違いだろう。

この記事は, 岩波書店「科学」2005年2月号 Vol.75 No.2 連載ちびっこチンパンジー第38回『お絵かきの楽しさ』の内容を転載したものです。