熊本サンクチュアリのボノボ
図1: 熊本サンクチュアリのボノボ

ボノボが来た

2013年11月末,熊本の紅葉も盛りを過ぎかけた晩秋のころ,熊本サンクチュアリにボノボが到着した。アメリカ・サンディエゴ動物園からの4個体だ。 午前6時,私が助手席に座った大型トラックは,熊本サンクチュアリの少し手前の,とある道の駅で一時停車した。後部にはボノボが乗っていた。まだ夜明け前,あたりは暗かった。ただ,ボノボたちは,すでに目覚めていた。それぞれに朝食としてバナナをあげた。みんな元気だ。

やがて,東の空から薄明かりがさし始めた。スタッフが続々と熊本サンクチュアリに集結して,受け入れ態勢を整えた。午前8時,私とボノボを乗せたトラックは再び動き出し,熊本サンクチュアリに到着。予定した通りの手順で,ボノボたちは,彼らのために用意された居室へと入っていった。

この4個体のボノボが,現在日本にいる唯一のボノボだ。国内の他の場所にボノボは飼育されていない。熊本サンクチュアリで,国内初の飼育下でのボノボ研究がスタートした(図1)。

ボノボのタッチパネルの練習風景
図2: ボノボのタッチパネルの練習風景

チンパンジーとの違い

ボノボは,現生の動物の中でヒトにもっとも近縁な生き物のひとつだ。同じ属の別種に,チンパンジーがいる。チンパンジーとボノボの2種が,ヒトに最も近縁な現生動物ということになる。

チンパンジーとボノボは,外見は比較的似ているが,野生での社会や行動には大きく違うところがある。概して,チンパンジーは攻撃的で男性優位の社会を作る。野生でも多様な道具を使う。ボノボは,平和的で女性優位の社会を作る。野生で道具を使うことは数少ない。両者ともアフリカに住むが,チンパンジーの生息地とボノボの生息地は大河で隔てられていて,両者が同じ場所で出会うことはない。

熊本サンクチュアリには,もともとチンパンジーが暮らしている。性格や行動特性が違うボノボとチンパンジーが出会ったら,お互いにどういう反応をするだろうか。その答えを得る機会があった。

ボノボが暮らす部屋の向かいに人間用の廊下があり,その廊下にドアがある。ドアを開けると,その先はチンパンジーの部屋だ。ドアを開けて,ボノボとチンパンジーを対面させてみた。両者の間には廊下があるので,直接触れ合うことはない。 ボノボを見たチンパンジーたちは,とたんに殺気立った。全身の毛が逆立ち,部屋の壁を叩いたり蹴ったりして大きな音を立て始めた。ボノボを威嚇しているのだ。一方のボノボは,「ピャーピャー」という独特の甲高い声をあげたあと,じっと座ってチンパンジーの観察を始めた。ときおり,チンパンジーに向かって腕を伸ばしたり,お腹を見せたりして,友好的な合図を送った。ただしそれをチンパンジーは理解しない。チンパンジーは相変わらず殺気立ってボノボを威嚇するのみだ。

チンパンジーの集団は,自分と違う集団に対して極めて敵対的だ。時には殺し合いになることもある。ボノボは,そうした殺し合いはしない。異なる集団でも,同じ場所に平和的に共存する。

両者のこうした違いはどこから来るのだろうか。それを知ることが,熊本サンクチュアリにボノボを導入して始めた研究の大きな目的である。

2×2の比較研究

すでにチンパンジーを対象として蓄積されてきた研究のノウハウを生かして,ボノボを対象に比較認知科学的研究を展開することを計画している。タッチパネルを使った認知課題(図2),アイトラッカーを使った視線計測,道具使用の実験的研究など,できることはたくさんある。ボノボを対象にした比較認知科学研究は世界にも先例が非常に少なく,多くの新発見が期待できる。

熊本サンクチュアリにボノボを導入するのに先立って,われわれ研究チームは,野生のボノボを観察するためにコンゴ民主共和国のワンバ地域を訪れた(本連載107回,119回,127回参照)。ボノボを理解するためには,彼らが暮らす野生の環境を理解し,彼らの本来の行動を観察することが肝要だ。

これで,比較研究の軸が2つ揃ったことになる。1つめの軸は,チンパンジーとボノボという比較だ。そして,2つめの軸は,野生(アフリカ)と飼育下(日本)という比較だ。こうした2つの比較軸で,2×2のマトリックスが出来上がる。アフリカのチンパンジー,アフリカのボノボ,日本のチンパンジー,日本のボノボ。2×2のマトリックスで構成される4つのマスが,これで埋まる。2×2の比較研究を通じて,人間の本性の真の進化的理解に迫りたい。

もちろん,大前提になるのは彼らの幸福である。アフリカの森で,チンパンジーもボノボも絶滅の危機に瀕している。彼らの幸せのためには保全が必須だ。飼育下で暮らすチンパンジーとボノボは,できる限り本来の行動特性を生かせるよう,生活の質の向上を図る必要がある。研究と野生保全,それから動物福祉が一体となった活動を展開するのが,熊本サンクチュアリのミッションである。

謝辞

京都大学霊長類研究所の文部科学省特別経費プロジェクト分「人間の進化」の経費によってボノボ導入が実現した。

この記事は, 岩波書店「科学」2014年4月号 Vol.84 No.4  連載ちびっこチンパンジーと仲間たち 第148回『日本初のボノボ研究』の内容を転載したものです。