図1: ドローンで上空から見たウマ

霊長類学の源流とウマ

日本のチンパンジー認知研究の歴史をひも解き、霊長類学の源流へとさかのぼると. 1948年12月の宮崎県幸島に行き当たる。京都大学の今西錦司,その弟子の伊谷純一郎らが、幸島にすむニホンザルの調査を開始したときだ。サルを1個体1個体識別して名前をつけるという、当時としては世界的にもユニークな方法を川いて、サルの社会を明らかにした。

ただし、霊長類学の源流というと、もう少し前にさかのぼることができる。幸島のサルの研究を始める前、今西とその門下生たちは、宮崎県の都井岬で半野生のウマの研究をしていた(本連載第170回参照)。ウマの社会を調べることを通して、動物社会学を築こうとしていた時代だ。ここで今西は、ウマを個体識別している。今西の著書「私の履歴書」によると、「この調査で初めて個体識別という方法を採用した」とある。つまり、個体識別に基づく日本の霊長類研究は、都井岬の半野生ウマ研究に原点があるのだ。今西らは、宮崎県都井岬でウマの研究をする行程で、野生のサルに出会った。そして,幸島のサルの研究が始まり、現在まで連綿と続いている。一方ウマの研究は、開始後4年でやめることとなった。

ポルトガルの野生ウマ

霊長類研究とウマ研究の接点は、その後途絶えたままだった。ところが.、2014年に夭逝したクローディア・ソウザさんというポルトガル人女性研究者が、再び接点を作った。彼女は日本に留学し、京都大学霊長類研究所でチンパンジーのコイン使用の研究などをおこなった。私も大学院生時代、彼女と一緒に研究をした同志だ。ソウザさんは博士号を取ったのち、本国ポルトガルの大学で教職に就いた。そして、縁あって、ウマと私たちを結びつけた。本連載第170回の「ウマの目からの眺め」に書かれた飼育ウマ対象の認知研究も、その一端である。

ポルトガルには野生ウマもいる。正確には、今西が使った「半野生」という言葉が正確かもしれない。真に野生のウマは地球上ですでに絶滅してしまったが、家畜化などで人問の手を経たのち、再び野生化したウマがいる。ポルトガルでは,ガラノと呼ばれる品種が各地に野生状態で暮らしている。ヒトの手によらずに自然の草を食み,繁殖をして代々と生き続けている。同所的に野生のオオカミもいて,オオカミによるウマの捕食も多い。自然界の食物連鎖の中で生きているわけだ。ウマは典型的には,1頭の牡馬と複数の牝馬およびその子どもたちでひとつの群れを作る。

私たちは小さな研究チームを作って、ポルトガルの野生ウマの調査を始めることにした。数か所を視察して回り,アルガ山と呼ばれる山を調査地に決めた。まずは,今西たちがおこなったように,個体識別からだ。現地の人は野生ウマそれぞれに名前をつけていない。私たちは、体の色や,所々にある白い斑点模様などの違いを手掛かりに、個体を識別した。ポルトガルのウマだが,調査するのは私たち日本人なので、わかりやすいように日本語の名前をつけることにした。そして、どの個体がどの群れかが簡単に関係づけられるように,県名を群れの名前に,そしてその県の都市名を群れのウマの個体名にすることにした。ある群れに兵庫群と名づけ,そしてその群れに属す牡馬の名前はコウベ、牝馬の名前はそれぞれヒメジ、アカシ、カコガワ,といった具合だ。20日間ほどの調査で,14群計81個体を識別して名前をつけた。

空から迫る新研究

アルガ山のウマの調査で,新しい手法を用いることにした。ドローンと呼ばれるビデオカメラつき小型無人飛行装置を飛ばして,空からウマの様子を記録するのだ。実際にドローンを飛ばしてみると、新たな視界が開けてくるのを実感する。地上に立った人間の目から見た景色と、空から見た景色とでは,見え方が違う。人間の目で横から見た時に重なって見える複数のウマも,空から見ると距離を取って配置しているのがわかる。

野生チンパンジーの調査の場合は、ドローンはあまり有効ではないだろう。チンパンジーは森の中で暮らしている。ドローンで空から見降ろしても、木々や茂みが邪魔をして,チンパンジーの姿を捉えるのは容易ではない。それに対して,ウマは開けた草原に暮らしている。アルガ山では,視界を遮るものがほとんどない。ドローンで空から下を見ると,群れの全個体をすべてビデオカメラの視野におさめることができる。

ひとつの群れだけではない。2つ以上のの群れを空から一度に捉えることもできる。ウマの群れ同士の関係は,チンパンジーほど敵対的ではないようだ。複数のウマの群れが、同じ場所で争いなく共存しているのを何度か見かけた。ただし,特に牡馬がけん制して,一定の関係を保っているようだった。ドローンを使った上空からの調査で,こうした群れ間関係を調べることができる,また、群れ内の個体の動きの同調も調べることができる。

私たちの研究は,霊長類学の源流でいったんは途絶えたウマ研究を,半世紀の時を経て再開させるものと言える。ドローンという最先端の技術の導入で,新たな比較研究への道が開けた。馬が合う同僚や師の研究チームで、長期継続研究を図りたい。

謝辞

ポルトガル野生ウマ研究は、京都大学霊長類研究所・松沢哲郎教授、神戸大学・山本真也准教授およびリングホーファー萌奈美研究員,ソルボンヌ大学カルロス・ペレイラ博士との共同研究としてスタートした。

この記事は, 岩波書店「科学」2016年4月号 Vol.86 No.4 連載ちびっこチンパンジー第172回『霊長類学からポルトガルの野生ウマ研究へ』の内容を転載したものです。