2017年1月14日,撮影者:森村成樹 イチジクの実を食べるチンパンジー
図1: バン山の頂上のイチジクの実を食べるベルの最後の姿

ベルは全身の骨格標本になった

毎年12月から1月にかけて,西アフリカ・ギニアで野生チンパンジーの調査をしている。1986年2月に始めて32年目になる。首都のコナクリから約1000 km 離れた最奥の村ボッソウのまわりの森である。

最後の姿をみた昨年1月の時点でベルは元気だった(図1)。ボッソウ調査を開拓した杉山幸丸さんが1976年にみたとき,ベルにはすでに子どもがいた。ブーと名付けた4歳くらいの男の子だ。翌年にはブナという男の子が生まれて2人の子持ちになった。そうした出産歴からみて調査開始時点で17歳と推定された。1959年生まれということになる。

昨年2017年3月18日,現地の調査助手のボニファスが森の中でベルの死体を発見した。ゲンパープレと呼ぶ場所で大きな木々が繁る林床だ。地面にうつぶせに倒れていたという。外傷はなかった。腐敗が進んでおらず死後3日と推定された。体力の衰えによる自然死と判定した。現地のマノン人の風習にしたがって,丁重に布に包んで埋葬した。

年末に訪れ,現地助手やギニア政府機関の許可も得て遺体を発掘した。9ヵ月が経過して骨と皮になっている。丁寧に水で洗って全身の骨格標本を得た。頭骨をみると歯の摩耗が目立つ(図2)。下顎の左の大臼歯3本がない。だいぶ昔に欠損したようだ.野生での暮らしはたいへんだ。

1988年1月1日にンペイという当時6歳半の男の子の遺体をわたしが発見した。それから数えて6体目になる。1歳,2歳,6歳半,11歳,53歳,58歳の遺体を回収した。野生チンパンジーの生涯を骨格標本から調べる時代が来たと思う。

2017年12月30日,撮影者:松沢哲郎 チンパンジー・ベルの頭骨
図2: ベルの頭骨。下顎の左の大臼歯3本が欠損している

子どもを抱えて道を渡る

わたし自身の32年の観察記を苦から,ベルにまつわる記憶を2つ紹介したい。

まず,道を渡るときのエピソードだ。ボッソウの森は道路によって東西に分かれている。道幅9メートルくらい。人も通るし自動車も通る。チンパンジーが道を横切るときは,多くのばあい群れの男性のあいだに役割分担がある。先頭が左右をよく見て渡る。渡り切ったところで立ち止まって後続の通過を見守る。そして最後にまた男性が現れる。先頭,見張り,しんがり,である。

ベル当時29歳,2人の子どもがいた,上の女の子はブベ6歳,下の男の子はブイ2歳だった。6歳にもなるとふつうは一人で歩くのだが,道路の横断は危険なので母親の背中に乗る。下の子はまだ幼いので母親の胸にしがみついている。おんぶにだっこでたいへんだ。いつも重そうに道を渡っていた。

ある日,群れの先頭はジェザという10歳の若い男性だった。見ると胸にあかんぼうがしがみついている。あれれ,と思ってみていると,後ろからベルがブベを背中に乗せて現れた。

ジェザは道を渡り切ったところで立ち止まり,後続のベル親子を待った。通り過ぎるところで,胸の子どもを母親に返した。ラグビーでいうスローフォワードのような感じだ。擬人的にいうと,「おばさん,いつも2人抱えてたいへんだろう,下の子のめんどうをぼくがみてやるよ」ということなのだと理解した。

おばあさんの役割

ボッソウのチンパンジーは一組の石を使ってアブラヤシの堅い種をたたき割って中の核を取り出して食べる。

ベル33歳のとき,上の娘のブベはすでに群れを離れていた。女性は年頃になると生まれた群れを出るのが通常だ。ラグビーボールにたとえた息子のブイが成長して6歳になっていて,さらに下に娘のブアブアが生まれていた。やはり2人の子持ちである。にぎやかといえばにぎやかだ。次々と育て上げ,つねにこうして2人の子どもをもっている,というのが野生チンパンジーの女性の姿だ。

それから10年たって,ベル43歳,おばあさんになった彼女を紹介したい。娘のブアブアが10歳でまだ群れに残っていて子どもを産んだ。べべと名付けた女の子だ。ボッソウを含めた野生チンパンジーの出産534例を集めて論文にしたことがある。初産はふつう12~14歳ころで,人間でいうと1.5倍して20歳前後に相当する。10歳での初産はきわめて早いほうだ。

ベル―ブアブア―ベベという,祖母―母親―娘,というトリオでいつも一緒に行動していた。石器使用の場面で,初めて明確に祖母の役割が見えた。子守である。母親が石器を使い始めると,胸にしがみついていた娘が一人歩きを始めて,隣の祖母のところに行く。祖母にまとわりついて遊ぶ。その間,母親はつかのまの自由を手に入れる。

チンパンジーのあかんぼうは生まれてから最初の3ヵ月間は,いつも母親にしがみついている。娘を祖母に預ければ,母親は効率よく種を割れる。祖母がいるおかげでゆっくりと食事ができるという発見だ。

ベルと同じ年頃のファナは40歳を過ぎてもまだ子どもを産み続けていたから,娘のフォタユが孫を産んでもその世話はしなかった。ひとくくりにはできない,人生はいろいろなのだと理解した。

2003年の呼吸器系の感染症の流行で,ボッソウでは5人のチンパンジーが一度に亡くなった。あかんぼうのべべが亡くなった。ほどなくして母親のブアブアは群れを離れた。ベルはひとりぼっちになった。

ベル58歳,最後の13年間は身寄りがなかった。同じ境遇にあるヨという女性と一緒に2人だけで群れとは別行動をとることが多くなった。朝,樹上のベッドから出てくる時刻が遅くなった。食べてすぐベッドに戻ることもある。歩き回らない。食が細くなった。そして静かに終わりの時を迎えたようだ。

年齢も来歴もわかる野生チンパンジーで,老いの姿を見つめる時代になったと思う。英語論文に詳報をまとめた。

Matsuzawa T (2018)  Chimpanzee Velu: the wild chimpanzee who passed away at the estimated age of 58 Primates, 59(2): 107-111. doi: 10.1007/s10329-018-0654-y

この記事は, 岩波書店「科学」2018年4月号 Vol.88 No.4 Page: 0372-0373  連載ちびっこチンパンジー第196回『推定年齢58歳で亡くなった野生チンパンジー・ベルの生涯』の内容を転載したものです。