図1: WISH 犬山第 1 ケージ(右手前の銀色)と犬山第 2 ケージ(左奥の緑色) は 、ともに 屋外運動場に面していて、空中回廊と呼ぶ連結ケージでつながっている。

SAGA:チンパンジー医学感染実験の廃止

1998年11月20日、SAGA(アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い)の第1回シンポジウムを犬山で開催した。山極壽一さん(現京大総長、当時は理学研究科助教授)らと相談して立ち上げ、ジェーン・グドールさんらが参加して、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オランウータンというヒト科の類人たちのために3つの行動目標を掲げた。①自然の生息地を守る、②飼育下の動物福祉を向上させる、③医学感染実験を廃止する。

21年前のこの時点で、136人のチンパンジーを製薬会社3社がC型肝炎実験のために保有していた。若い健康なチンパンジーにウイルスを感染させ、肝炎にしたうえで治療法を探る実験だ。チンパンジー研究をしてきた者として不幸な彼らを座視できなかった。

SAGAの活動を通じた説得が実り、保有数が最大の会社が2006年秋に自主的に感染実験を停止した。しかし使い道の途絶えた彼らの余生を民間の善意だけで支えるのは困難だ。そこで2008年4月に京大に野生動物研究センター(WRC)を創設した。霊長類研究所(PRI)からの人員をもとに大学の配慮で組織ができた。WRCの付属施設として発足した熊本サンクチュアリ(KS)を受け皿に、2011年8月に製薬会社から土地と建物とチンパンジーを無償譲渡していただいた。大学に移管することで安寧な余生を保障する構想だ。

2012年5月15日、医学感染実験というひとつの歴史に終止符が打たれた。3人のチンパンジーが、最後に残った製薬会社からKSに移籍してきた。「30年ぶりの空: 医学感染実験チンパンジーがゼロになった」を参照されたい。

GAINという戸籍を作る

医学感染実験を廃止すると行き場のなくなったチンパンジーができる。それを見通してまず戸籍・住民票を作った。2002年4月に立ち上げたGAIN(大型類人猿情報ネットワーク)だ。日本の全員の出生・死亡・移籍の情報をネット上で公開するデータベースだ。2019年11月23日現在、チンパンジーは全国48施設に306人いる。動物園とのきずなをつくり、KSで集団作りをして無償で各地に送り出してきた。実験を廃止する一方で、まったく別の発想での研究活用も考えた。自然に老いゆく彼らの加齢変化や認知症を調べ、死後速やかに献体して脳や臓器やゲノム研究を進める。チンパンジーはワシントン条約の付属書Ⅰに分類されていて輸入はできない。貴重な遺伝子資源だ。2017年にアイとアキラとアユムの親子3人の全ゲノム解読に世界で初めて成功した。また世界で2例目となるチンパンジーのダウン症もみつかった。日本の約100年間の約1000個体を集計して平均寿命も初めて計算した。日本のチンパンジーすべてを視野に入れて福祉の向上を図りたい。

WISHケージ:複数生息地を連結する

動物福祉という視点でみると野生と飼育の大きな違いが2点ある。ひとつは採食の自由、もうひとつは移動の自由である。野生では、好きなときに食べ、森の行きたいところに自由に行ける。飼育下では、飼育員が食べ物を運んで来るまで食べられないし、部屋(ケージ)の外には出られない。

そこでチンパンジーが小集団に分かれて複数の生息地を自由に行き来する環境を構想した。2010-2012年度に国が推進した最先端研究基盤事業の1件としてWISH(心の先端研究のための連携拠点)事業が採択された。その3年間で、比較認知科学の研究のための大型ケージを4基導入した。犬山のPRIに2基と、熊本のKSに2基である。ケージといっても1辺が10-20mで高さ最大16mの6階建てビルに相当する巨大な空間だ。

犬山の大型ケージ2基は、ともに屋外運動場に面していて、空中回廊と呼ぶ連結ケージでつながっている。木々の繁茂した屋外運動場では、木の葉や草本などを好きなときに採食できる。1群12個体のチンパンジーたちが、ケージ2つと運動場という3つの生息地のあいだを自由に行き来する環境が整い、2015年10月8日から本格的な運用を始めた。

各ケージの4階に相当する部分に、犬山第1にはスカイラボ、犬山第2にはインタラクションブースと呼ぶ研究空間を創った。アフリカの森でいえば樹冠にあたる高い場所に、コンピュータのタッチパネル等を装着した認知科学のラボ(実験室)がある。チンパンジーたちが好きなときに来て勉強する。なかまと自由に動き回れる暮らしの中で、彼らの社会的知性を探る研究が歩み始めている。ケージが新設できたので2013-14年にKSに6人のボノボを北米から無償で迎え入れた。チンパンジーとボノボの比較研究ができるようになった。

2019年11月、SAGAは22回目を日本モンキーセンターで迎えて、大学の研究者と動物園人が今年も一堂に会した。WISHケージは複数生息地連結飼育施設だ。こうした新たな発想が多くの方々の理解を得てやがてチンパンジー飼育の世界標準になる日を夢見ている。

図2: 三角半島の丘陵に建てられたWISH熊本第1ケージ(左端の四角い建物)と熊本第2ケージ(最上方に小さく見える格子状の建物)。間をつなぐ世界最長の約150mの連絡通路をチンパンジーが静々と行き来する。

この記事は, 岩波書店「科学」2020年1月号 Vol.90 No.1  連載ちびっこチンパンジーから広がる世界 第217回『比較認知科学実験用大型ケージ(WISHケージ)の成り立ち』の内容を転載したものです。