2000年11月撮影/京都大霊長類研究所提供
生後7ヵ月のアユムの笑い顔

ヒト以外の動物では,相手を見つめるということは一般に良い意味を持たない。じっと相手を見る。見つめられた方は落ち着かなくなる。見ることが,にらむ,ガンをつける,という意味でしかないのである。実際,肉食獣が草食獣を捕らえる場面を想像してみよう。じっと見られたら,ろくなことは起きない。

野猿公園などの注意書きに,「サルを見つめないでください」とある。ニホンザルをじっと見ると,サルは怒るか逃げるかする。強いサルなら,ちょうどヒトが「こらっ」と言うときのようにカッと口を開く。耳も後ろに引き,額を狭め,肩を怒らせて体を大さく見せ,「ガッガッ」と声を立てながら突進してくるだろう。サル同士でも同じだ。強いサルが弱いサルをじっと見る。弱いサルは,キャッと口を開け歯茎を見せた表情で,背を丸めて小さくなる。じっと見るということは,にらむということで,軽い威嚇なのである。

ヒトの場合,相手をじっと見ることには二つの意味がある。にらむだけではなく,見つめることによって親愛の情を相手に伝える。目と目が合うという点で両者は同じだが,表情や姿勢を見れば誤解することはまずない。特に重要なのが唇の表情だ。口の端を横に引いて,心持ち引き上げる。この「ほほ笑み」と呼ばれる表情を相手がしていれば,見つめることを通じて親愛の情が相手に伝わる。

興味深いことに,ヒトは生まれなからにしてほほ笑むようにできている。新生児微笑と呼ばれる現象だ。生まれて数日で,まだ目もしっかりと開かず,ひたすら眠るだけの赤ん坊が時々,にっという感じで笑う。声をたてず,にっとほほ笑むその表情は,親の顔を見てのことではない。ごく自然に,自発的に,にっとほほ笑むのである。物音がしたり,ベッドが軽く揺すられても,にっと笑う。

赤ん坊が3ヵ月くらいになると,しっかりと親の顔を見つめながらほほ笑むようになる。このほほ笑みは,相手に向けられたもので,口を開けてにっこりする度合いがさらに強調されている。新生児微笑とは区別して社会的微笑と呼ばれるものだ。要するにヒトは,生まれながらにして新生児微笑があって,やがて社会的微笑が始まる。親の顔をじっと見てにっこりとほほ笑む。親のほうはごく自然に子供にほほ笑み返す。互いに顔を見つめ合い,ほほ笑み合うというのは,ヒトという動物の子育ての特徴だといえる。

ほほ笑みながら相手の目を見つめる,ということでヒトは親愛の情を伝える。そうしたコミュニケーションのあり方が,いわば新生児微笑というかたちで生まれつき身についているといえる。

実は,我々の研究から,チンパンジーでも新生児微笑が見つかった。母親の胸に抱かれてまどろむ新生児が,にっとほほ笑む。また,「しがみつき,抱く」関係の中で,母子は互いの顔をよく見つめ合う。チンパンジーは,まなざしとほほ笑みといった点においても,ヒトと共通するものを持っているようだ。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年01月29日の、 『まなざしとほほ笑み』を転載したものです。