撮影:平田明浩.提供:毎日新聞社 チンパンジーの母子。7ヵ月になったパルを抱くパン
チンパンジーの母子。7ヵ月になったパルを抱くパン

「類人猿ゲノム研究のための国際ワークショップ」に出席した。理化学研究所と国立遺伝学研究所の研究者らが組織したもので,14,15の両日に東京で開催された。2日間で37の演題という濃密な日程だった。欧米と日中韓から,「ゲノム科学」の研究者に加えて,脳科学や認知科学の研究者も集まった。

最近,「ヒトゲノム解読!」と,新聞に大きく報じられたことを記憶している人も多いだろう。「遺伝子と心をつなぐ第一歩」というのが,今回のワークショップのうたい文句だ。「脳と心」というのは,表現としてかなり耳慣れてきた。では,「遺伝子と心」はどうつながるのだろうか。

「ネイチャー」という英国の科学雑誌がある。すべての科学の分野を対象に,重要な発見だけを毎週速報している。その2月15日号は特別に分厚かった。「国際ヒトゲノム解読共同研究体」という著者名で,「ヒトゲノムの初解読と解析」という論文が掲載されたからである。私の論文も過去2度掲載されたが,「ネイチャー」の論文は普通せいぜい数ページしかない。それが,「ヒトゲノム解読」の論文は62ページもある。しかも,新聞を広げたほどの幅のある巨大な図が2枚とじ込まれていた。図にはヒトが持っている23対の染色体ごとに,12項目からなる遺伝的な特徴がびっしりと書き込まれている。

ヒトのゲノムが解統された—。自分が生きてきた20世紀の後半で考えると,1969年のアポロ宇宙船の月面着陸と同じくらいインパクトがある。だが,一般の人々には,まだあまりピンと来ていないようだ。

「ゲノム」は英語で「GENOME」とつづる。どんなことでもそうだが,語源にまでさかのぼって考えると理解しやすい。遺伝子(GENE・ジーン)と染色体(CHROMOSOME・クロモソーム)という語を合わせて,ゲノムという言葉ができた。ゲノムとは,ヒトならヒトという種が持っているすべての遺伝情報のことだ。

我々の細胞の中には染色体があって,染色体の中に遺伝子と呼ばれるものが収まっている。その実体は,DNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる物質の連なりである。今回,そのDNAの連なりのすべて,つまりゲノムを読み解く作業がほぼ完了した。その結果,例えば人間の遺伝子の数は3万~4万個程度だということが分かった。想像よりは少なかった。線虫やショウジョウバエの倍ほどしかなかったからである。

ヒトゲノムが終わり,研究者の間では,次にチンパンジーゲノムが注目されている。チンパンジーのゲノムはまだ解読されていない。両者の違いが分かれば,人間の人間たるゆえんを,遺伝子レベルで特定できることになる。DNAのレベルでみて,両者には1~2%の違いしかないと推定されている。では,その違いは,何番目の染色体のどこにある遺伝子の違いなのか。そうした遺伝子の違いは,人間の進化の中でいつごろ起きたのか。それは,「人間とは何か」という問いに対する,一つの根源的な答えだと言えるだろう。

「ゲノム科学」の発展を,興味深く見守っていきたい。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年03月19日の、 『チンパンジーゲノム計画』を転載したものです。