Credit: Primate Research Institute, Kyoto University アイと,課題箱の丸棒を口でくわえるアユム
課題箱の穴に丸棒を口で入れるアユム

アイの息子アユムが生後11力月を迎えた。あと1カ月で初めての誕生日になる。最近の様子をお知らせしたい。

毎朝決まって9時に,居室にいるアイ母子を研修員の明和政子さんらが呼びに行く。廊下の天井にチンパンジー専用通路があるのだが,最近,アユムは母の前をひとりで歩くようになった。それまで母親の腹に抱かれて移動していたのに,「もうボクひとりで歩けるよ」ということなのだろう。

朝の検査でいろいろな角度から,アユムの知性の発達を見ている。「K式発達検査」を紹介しよう。欧米の心理学者のビネーやゲゼルらによって発案された手法に,京都大学の心理学者・園原太郎さん(故人)らが工夫を加え改良を重ねた。発祥の地である京都にちなんで,「K式」と名付けられている。

人間の乳幼児健診で,このK式発達検査が広く使われている。5000人のデータをもとに,人間の赤ん坊がいつごろどんなことができるようになるか,その目安が示されている。例えば,「4人中3人がするようになる」という基準で見てみよう。満7ヵ月になると,「イナイ・イナイ・バー」に対してほほ笑んだり声を出したりする。10ヵ月では,いわゆる「人見知り」を始める。満―歳では,「ちょうだい」と手を差し出すと,持っていた積み木を渡してくれるようになる。どれも簡単そうだが,アユムではこうした対人的なかかわりは出てこない。

ちょっとした小道具を使って検査することもある。小鈴,積み木,入れ子のカップ,はめ板などだ。人間の赤ん坊の場合,積み木を積もうとするのが1歳1力月,実際に2個を積み上げるのが1歳3ヵ月ころだと分かっている。アユムはまだ積み木を積めないし,積もうとしない。積み木を手に取ってロヘ持っていく。

「まだまだだなあ」と思っていたら,つい最近,アユムに驚かされた。「課題箱」と呼ぶ検査で成功したのだ。手提げかばんほどの大きさの箱で,穴が三つ開いている。それとは別に,丸い棒と四角い板がある。丸棒は,課題箱の中央の丸い穴にすっぽりと入る。角板は,縱にすると,横長の四角形の穴にぴったりと入る。人間の子供では,1歳2ヵ月で丸棒を丸い穴に,1歳8ヵ月で角板を四角形の穴に入れられるようになる。

アユムが,この課題箱で丸棒を丸い穴に入れたのだ。そうしなさい,と言ったわけではない。母親のアイは,積み木も積める,はめ板も上手にはめる,課題箱もできる。そうした「勉強」の様子を生まれたときからずっと見ていただけだ。それが,アユムに丸棒を持たせてみると,ひとしきり口でもてあそんだあと,突然,穴に向かって入れようとするではないか。そして実際に入れるのに成功した。

考えてみると,野生チンパンジーが使う道具として最初に発見されたのは「シロアリ釣り」だった。シロアリのいる塚の穴に棒を差し込む。ヒト以外の知性を,ヒトに引き寄せて測るのはフェアではない。きっとチンパンジーには,棒を穴に入れるというような,彼らにとって得意な科目があるのだと思う。

Credit: Primate Research Institute, Kyoto University アイと,課題箱の丸棒を口でくわえるアユム
アイと,課題箱の丸棒を口でくわえるアユム
この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年03月26日の、 『丸い棒を丸い穴に入れる』を転載したものです。