写真:平田明浩.提供:毎日新聞社

アイと,あぐらの中のアユムと戯れる
アイと,あぐらの中のアユムと戯れる

桜が3分咲いた。日曜日の昼下がりである。日だまりで,チンパンジーたちが毛づくろいをしていた。

アイと幼なじみのマリだった。連動場の壁に背をもたせかけるようにして座ったアイの横で,その腕の毛をマリが指でより分けては唇を寄せていた。少し肌寒いが風はない。真っ黒な全身が陽光をたっぷりと吸っている。アイは腕を軽く前で組み,うっすらと目を閉じている。彼女を見ていてふと気付いた。息子のアユムがいない。「アイ,手を上げて」と声をかけた。毎日わきの下で体温を測っているので,手を上げてくれた。いない。付近を目で捜したが,アユムの姿がない。アイとマリは,居室と運動場をつなぐ小さな扉の前に座っていた。ピンときた。アユムは部屋の中なのだ。

足を忍ばせて裏に回り,居室の中をそっとのぞいてみた。するとペンデーサがアユムのお守りをしていた。ペンデーサも,アイの幼なじみだ。アフリカのスワヒリ語で「どうぞ」という意味だという。みな「ペン」と短い愛称で呼ぶ。四足で立ったペンの腹の下にアユムも四足で立っていた。ペンの左手がそっとアユムの腹に添えられていた。アユムが歩くと,腹に手をあてで覆いかぶさる格好のまま,ペンも移動する。

母親の目の届かない所で,赤ん坊がよそのおばさんに抱かれるようになった。もっとも,幼なじみのペンだから,ということもあるだろう。特別に許してもらっているようだ。

1力月ほど前から,アユムは私のあぐらの中に座るようになった。毎朝9時から,「発進検査」をしている。アイとアユムを勉強部屋に呼び入れ,そこに私か入っていく。床にどっかりとあぐらをかいて座る。するとすぐにアユムはアイから離れ近寄ってきて,私の組んだ足の中にすっぽりと入り込む。そう教えたわけではない。ごく自然にそうするようになった。

自分の子供たちがまだ幼いころ,あぐらの中で抱いた記憶がよみがえってきた。思えば,自分も子供のときに父親にそうしてもらった。必ずしも親だけとは限らない。よそのおじさんやおばさんであっても,親しい人のひざに子供がはい上がる。

野生チンパンジーの場合も,昼下がり,地べたで寝転んで休んでいる大人の男性の所に,赤ん坊が近寄っていっで遊んでもらう。あぐらの中のアユムと遊んでいると,自分がだんだんチンパンジーになってきたような気がする。

この1年近く,チンパンジーの赤ん坊の発達を間近で見守る研究を行ってきた。母親が育てているチンパンジーの赤ん坊を,ヒトの母親が育てているヒトの赤ん坊の場合とまったく同じ方法で比較しようという試みである。

研究のユニークなところは,アイのような母親から協力が得られるということだ。母親のアイからも,息子のアユムからも,少なくともペンと同程度の信頼を寄せられている。チンパンジーたちのきずなの中に,徐々に自分が入り込んでいると実感した。

眠るアユム
この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年04月10日の、 『あぐらに抱く信頼関係』を転載したものです。