提供:毎日新聞社 アユムは間もなく1歳,まだアイの乳を吸っている
アユムは間もなく1歳,まだアイの乳を吸っている

24日で,アユムは満1歳。改めて,この1年を振り返ってみたい。

チンパンジーの母子の様子を毎日,手と手の触れ合う至近距離から見守ってきた。母親からの協力もありがたい。「床に寝て」と言えば,床に横たわってくれる。

この1年間,さまざまな発見があった。チンパンジーの新生児がヒトの赤ん坊と同様に,まどろみの中で微笑することが分かった。それが生後3ヵ月くらいから,相手の顔をしっかりと見て笑い始める。また,チンパンジーの新生児が相手の表情をまねることも分かった。こうしたヒトだけだと思われていた特徴が,チンパンジーにも認められることが発見された。

その一方で,人間の母子関係の特殊さも浮き彫りになった。一言で要約すると,「しがみつかない・抱きしめない」関係である。母と子が抱擁する姿は美しい。一般に,母と子が密着し,子供を抱きしめることの重要性が指摘されてきた。しかし,常識を覆すようだが,赤ん坊が母親に「しがみつかない」,母親が赤ん坊を「抱きしめない」というところにこそ,人間の人間らしさを見る思いがする。

サルの仲間の母子関係は,「しがみつき・抱きしめる」ことが基本だ。赤ん坊は生まれながらにして母親にしがみつけるし,チンパンジーの母親はそれをずっと抱きしめる。アイとアユムで言えば,生後一力月目に,初めてアユムを床にそっとあおむけに置いた。しかし,その後も基本的にはずっと昼も夜もしがみつき抱きしめたままだった。生後3ヵ月くらいになって,ようやくアユムが四肢をふんばって立てるようになり,母親の腕の外に出るようになった。

厳密に言えば,人間の場合は,生まれたとたんに母親と赤ん坊は離れている。強いて言えば,母と子は「寄り添う」関係だ。そばにいるかもしれないが,しがみついてはいない。抱きしめてもいない。母子が離れている。チンパンジーの赤ん坊は静かだ。めったに泣かない。でも,逆に言えば,泣く必要もない。なぜならいつも母親にしがみつき,抱いてもらっているからだ。

人間の赤ん坊はよく泣く。泣いて母親を呼ぶ。人間の母親は赤ん坊に語りかける。相手が分かっているかどうかにおかまいなく,「OOちゃぁーん,げんきぃ?」と声に出す。いわば,声で抱きしめている。また,手を振ってあやしてみたり,さらにガラガラを手に握らせたりする。チンパンジーの母親は声をかけないし,手も振らない。物を介して赤ん坊にかかわることもめったにない。

人間の親子は距離を置いているからこそ,さまざまな形できずなを確認する。相手の顔をのぞき込み,声を交わし,物をやり取りする。まさに「育児」というのはコミュニケーションなのだと思う。

誕生日にあわせて,「おかあさんになったアイ」という本を講談社から出版した。アイとアユムのこの1年の様子をぜひ手に取って確かめていただきたい。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年04月23日の、 『アユムが満1歳になって』を転載したものです。