ユスラウメの赤い実がたくさんついた。春浅いころ,葉に先立って白い五弁の花が咲いた。緑の楕円形が茂ってゆくなかで,いつのまにか小指の先ほどの大きさにまで実が膨らんだ。

中国原産のバラ科の灌木である。気になって辞書を引いてみたら,「梅桃」とある。「ウメモモ」と書いて「ユスラウメ」と読むそうだ。研究所の庭に3本植えてある。朝,実を摘み取って,チンパンジーへの土産にした。アイにとっては,1年ぶりに目にする実だ。私の持ち込んだかごの中に,目ざとく見つけて,「アッアッアッ」と声を上げた。フード・グラントと名づけられている声だ。食べ物に対してこの声が出てくる。好物であればあるほどその声が大きくなる。

人間の声で言うと,「かみ殺していた笑いが,つい忍び出てしまう」ときのそれに近い。笑顔を作っておいて,軽くせき込む感じで,のどの奥の方から笑い声を出すと,フード・グラントに似て聞こえる。

一握りのユスラウメの実をアイに手渡した。アイはむさぼるように食べた。その様子を息子のアユムが,顔を触れんばかりに近づけてのぞき込む。1歳1ヵ月のアユムにとってみれば,初めて目にする実である。

ユスラウメの小さな種を,アイは口の中でじょうずにえり分けて,唇から外へと吐き出した。夏,スイカを食べるときに種を吐き出す,あの要領だ。ひとしきり母親の様子を見ていたアユムは,床に落ちた種にそっと口を近づけて,唇の先で拾い上げた。母親の食べる姿を見て,母親の食べかすを食べる。そうして,赤ん坊は新しい食物を学んでいく。

もちろん,いつもそうだとは限らない。野生で見ていると,赤ん坊の方から,口や手を伸ばして,母親の食べ物をもぎとっていくことがある。まれには,母親の方から,口移しで食べかすを与えたり,ひょいと手渡しすることもある。さらに,赤ん坊が母親のあごの下あたりに手を伸ばして「おねだり」すると,母親がその手に食べかすを出すこともある。

ただ基本的には,親の方から働きかけず,子供の好きにさせている。食べ物を赤ん坊の口に入れたり,「母さんはいいから,おまえお食べ」と手渡すことはない。それは人間の話である。「食べたければ,自分でお食べ」が,チンパンジーの論理だ。

野生チンパンジーは果実が大好きだ。アニンゲリアの実や,アンティアーリスの実は,ちょうどユスラウメほどの大きさの赤い実だ。ギニアの森林では,乾期の後半の1~3月のころに実を結ぶ。30~40メートルもある大木の全体に実がついている。自分で手を伸ばせばそこに実がある。イチジクもクワの実も同様だ。そうして,果樹から果樹へ渡り歩くのが野生の暮らしだと言ってもよい。

研究所の空き地に果樹を植えている。ユスラウメと同じころ,サクランボが実を結んだ。梅も小さな実をつけた。桃の実も膨らんでいる。季節の折々に実る果実をチンパンジーに届けながら,アフリカの森で暮らす,アイの仲間たちの姿を思った。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年06月04日の、 『ユスラウメの赤い実』を転載したものです。