撮影:平田明浩.提供:毎日新聞社
図: 2組の母子。左がクロエとクレオ, 右がアイとアユム

クロエの子供が19日に1歳の誕生日を迎えた。クレオと名づけたのだが,皆「クーちゃん」と呼んでいる。体重4・25キロ,犬歯を除く16本の乳歯がはえている。ヒトの赤ん坊でいえば,2歳半ころに相当する。

クロエ母子は助教授の友永雅己さんが担当している。午前と午後に各1時間程度,母子と対面しての発達検査を,生まれた直後から毎日続けてきた。日々のよ積み重ねで,クロエはすっかり友永さんを信頼している。痛い注射もがまんできる。さらに採血さえ許してくれるようになった。

クロエは出産のときにクーちゃんを抱かなかった。代わりに,大事にしていた縫いぐるみを抱いてしまった。出産の翌日,赤ん坊の方から母親にしがみついた。もう離さない。一度抱いたら,クロエもクーちゃんを手離すことはなかった。

ところが,困ったことが起きた。授乳を拒否するのだ。クレオが乳首を探り当てて飲もうとすると,その頭をクロエが手で押し下げる。むずがゆいのか,痛いのか,気持ちが悪いのか,とにかく乳首を吸われるのが嫌なようだ。

深夜,母親が熟睡している間,ほんの短時間だけクーちゃんはお乳が飲めた。今日は何分間飲めたか,見守っていた人々は一喜一憂した。

クーちゃんが日増しに弱っていくようなので,友永さんが「補乳」することにした。対面場面で,クロエに食べ物を与えながら,すきを見てクーちゃんにほ乳瓶でミルクを与えた。低空飛行のような日々が続いた。

やがてクロエは,授乳を拒否するだけでなく,自分で自分の乳首を吸うようになった。子供が乳首に吸い付くと,その乳首を取り上げて自分で吸う。吸えば吸うほどお乳の出はよくなるが,段々と乳首は伸び,やがて4センチほど垂れ下がってしまった。

産んだ子供を抱かない。乳を与えない。クロエはダメな母親なのだろうか。クロエの授乳拒否を見ていて,ひとつのパターンに気がついた。胸にしがみついた子供が乳首を探り当てて吸い始める。そのとき,何かイライラするようなことがあると,クロエは乳首を取り上げて自分で吸ってしまう。穏やかな雰囲気で休んでいるときは,そのまま乳を飲ませることが多い。

乳首を吸うことで得られる安心感は,ヒトでもチンパンジーでも,大人でも赤ん坊でも,変わりはないのだろう。クロエをできるだけそっとしておく。日々やさしい言葉をかける。そう心がけていたら,徐々に授乳拒否は減っていった。

クロエはパリの動物園で生まれた。母親が育児拒否した。人の手で育てられた。そして4歳のときに日本に連れてこられた。だからクロエは母親の乳房を知らずに育った。仲間と過ごすチンパンジーらしい経験にも乏しかった。それでもなんとかクーちゃんを抱き,乳を与えている。

どう育てられたかが,大人になってからの子育てに反映する。ただし,周りからのサポートでそれも変わり得るのだろう。苦労した分,クーちゃんは元気で力強い子に育っている。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年06月25日の、 『クレオも1歳,元気です』を転載したものです。