「人間の認知と行動の霊 長類的起源」と題した英文 の編著を,ドイツに本社を 持つシュプリンガー社から 今年出版した。6月28日付 の英科学誌「ネイチャー」 が,その本を大きく取り上 げた。「日本からの見解」 と題した書評で,米国の心 理学者マーク・ベコフさん と英国の霊長類学者ジェー ン・グドールさんによるも のだ。

7部28章からなる本で,「人間の心や行動には霊長類的な起源がある」ということを,野外研究と実験室的研究の双方から実証した。現生の霊長類約200種のうちの90種が研究の対象だ。50年以上にわたる野外観察の成果も含まれている。私自身が深く関与した「アイ・プロジェクト」と呼ぶチンパンジーの心の研究や,野生チンパンジーの道具や文化に関しても,まとまった報告がある。

サル学者として高名な河合雅雄さんも加わった「幸島のサル・再訪」の章が圧巻だ。人間以外の動物にも群れに固有な文化がある。それを世界で初めて報告した,宮崎県・幸島の「サルの芋洗い」と,その後の研究の展開をまとめている。若いニホンザルのメスが,芋を海水で洗って食べ始めた。その行動がやがて群れの中に広まっていった。50年間の継続観察に基づく,7世代に及ぶサルの家系図が載っている。どんなにテクノロジーが進んでも,50年という時間や歴史は,50年かけないと目で見ることができない。単純で力強い真実である。

「ネイチャー」や,米国の「サイエンス」という雑誌の評価は高い。なぜなら,宇宙の起源からDNAまで,あらゆる科学の分野を対象として,新発見や画期的な発明に限って研究成果が報じられるからだ。アイの研究も,85年に「ネイチャー」に論文が掲載され,「数字を使った最初のチンパンジー」として知られるようになった。

今回,研究のまとまった成果を「ネイチャー」が取り上げた。また「サイエンス」の4月13日号は,アイとアユムのコンピューターを使った学習の最新の様子を報じている。研究が国際的に広く認知されてきたと実感する。

それにつけても,先人の足跡は偉大だ。故今西錦司さんは日本の霊長類学の父である。48年11月,川村俊蔵さんと伊谷純一郎さん(当時ともに京大理学部の学部学生)とともに,幸島で野生ニホンザルの研究を始めた。野生のサルを双眼鏡で見て,ノートに克明に行動を記録し,その社会の有り様を知る。そうしたいとなみが学問になるとは,まだ誰も思っていなかった。

57年には,「プリマーテス」という英文雑誌を創刊し,研究成果を国際的に発信した。日本が発行元の英文学術誌として今に続いている。翌58年に,ニホンザルでの10年間の研究成果の上に,今西さんらはアフリカで大型類人猿の野外研究に着手した。その一つの展開が,野生チンパンジーの研究であり,アイ・プロジェクトなのだと思う。

来年は今西さんの生誕100年にあたる。「誰も見ていないものを見る」「誰も考えていないことを考える」,こそうしたパイオニア精神を受け継いでいきたい。  

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年07月02日の、 『日本からの学問の発信』を転載したものです。