のうぜんかずらのオレンジ色の花が咲いた。運動場の木々の緑が深さを増した。アユムは1歳2ヵ月,日中は母親から離れ,ペンデーサおばさんの腹にしがみついたり,クーちゃんやパルともよく遊ぶ。

去年の11月30日から毎日,携帯用コンピューターを使った勉強を行っている。床に置くとアユムでも容易に触れられる。リンゴの写真に触るだけの簡単な課題だ。モニター画面の右下にまず白い丸が現れる。それに触ると,リンゴの写真が画面に出てくる。触ると,ピツと音がしてリンゴの写真の位置が変わる。もう一度触るとまた動く。結局5回続けて写真に触ってゆくと,本物のリンゴのひとかけらが出てくる仕掛けだ。

アイがする様子をアユムは熱心に見ていた。そのうち,ごほうびのリンゴ片をアユムが取るようになった。しかもリンゴ片が出てくるパイプに手を伸ばして待ち構えるようになった。アイが働いてアユムが取る。横取りされても,アイはけっして邪険にしない。根気よくコンピューターの課題をこなしていく。

2月20日,突然,その日はやってきた。アユムがコンピューターの画面に初めて手を触れた。しかもリンゴの写真を追いかけて,リンゴ片を手に入れた。さらに続けて画面に触れる。無駄な動きはない。結局4個のリンゴ片を独力で勝ち取った。

その4日前,アユムは別の部屋で,別の大人用のコンピューターの画面に,やはり突然手を触れ始めた。漢字を見て,その色を選ぶ課題である。たまたま「茶」という漢字だったのだが,ちゃんと茶色を選んだ。そしてごほうびの100円玉を手に入れた。字の意味まで分かっているのか,まだ不明だ。でも,「どういう手順でコンピューターを操作すればよいのか」を正しく理解していることは間違いない。

ようするに,まだようやく10ヵ月の赤ん坊が,二つの別々の場面でほぼ同時に,コンピューター課題に挑戦するようになった。興味深いことに,同じころいろいろなことができるようになった。例えば母親のアイは,対面しての検査の最後に「シーッ」と言うとおしっこをするようしつけたのだが,それを毎日見つづけていたアユムがまねるようになった。アユムも一緒におしっこをする。

2月の「事件」以降,コンピューター課題では大きな変化は見られなかった。逆に,また母親のかせいだリンゴを横取りする日々が続いた。それが6月20日,突然,進展した。アユムがいきなりコンピューターの画面に手を触れてリンゴの写真を追い始め,用意した20個のリンゴ片全部を手に入れた。このときも同じころ,勉強部屋の天井の通路から床まで,毎日,独力で下りるようになった。コンピューターの課題を始める前に,「オッ,オッ」つとフッドグラントと呼ぶ声も出す。

日々,母親の様子を注意深く見守っていた子供が,ある日突然,同じしぐさをする。そのとき,同時にいろいろなことができるようになる。しばらく鳴りをひそめて,また飛躍がある。そうした「見てまねる」という学習のプロセスが少し見えてきた。「学ぶ」は「まねぶ」,つまり「まねる」ということに語源を持つそうだ。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年07月10日の、 『ある日,突然』を転載したものです。