アユムと遊びたい。かわいいチンパンジーの子供を抱きしめたい。誰でもそう思うだろう。そうした夢のかなう日が来た。

ツイン・ブースという仕掛けを考案した。ブースとは,透明なアクリル板で囲った,縦,横,高さ各2メートルほどの小部屋のことだ。普通は,大きな部屋の中にブースを一つ設置して,中にいるチンパンジーの様子をぐるりと周囲から観察する。このブースを二つ接して並べた。双子を意味する「ツイン」を付けてツイン・ブースと命名した。間仕切りのドアがある。幅50センチ,高さは約1メートル。上下にスライドする。

6月8日,初めてツイン・ブースにアイとアユムを入れた。不安と好奇心の入り交じった様子で,少し落ち着かない。私もブースに入って,毛づくろいをしたり,声をかけたりして落ち着かせた。間仕切りのドアを床まで下ろした。ころあいを見はからって,またドアを開けた。ドアの開閉やその音に慣れてもらうためだ。

2回目の入室のときに,アイとアユムを置いて隣のブースに私が移動した。そして間仕切りのドアを徐々に下げた。ドアを下げると,アイが通り抜けるのは難しい。でもアユムは通れる。とうとう床面から15センチまで下げた。こうなると,アユムがはいつくばって頭を低く下げて,ようやくすり抜けられる高さだ。

「アユム,アユム,おいで!」と声をかけるとアユムが来る。私の腕の中に抱かれた。しばらくすると,不安になったのか,またドアのすき間をすり抜けて母親の元に戻った。また呼ぶ。私と遊ぶ時間が徐々に長くなっていった。同じブースではないが,すぐそばに母親がいる。透明なアクリル板を通してお互いの姿が見える。アイは,少し心配そうに見えたが,おとなしく待っていた。

6月16日,とうとうその日がやってきた。間仕切りのドアを下げた後,道家千聡さんを私のブースの方にそっと呼び入れた。道家さんは獣医師で,アユムの成長をずっと見守ってきた。子供チンパンジーの飼育の担当者である。

道家さんが一方のブースに入ると,隣のブースにいるアイはさすがに緊張して少し毛が逆立った。何が起こるのだろう,という感じだ。でもすぐに落ち着いた。アユムは自分で間仕切りのドアをくぐり抜けてこちらのブースにやってきた。おもしろいことに,ドア近くに陣取った私を無視して,一目散に道家さんに向かった。靴のにおいをかぐ,ひざに手をかける,手からリンゴ片を受け取る。そして心配そうに見守る母親の方に戻っていった。最初の出会いは5分間ほどで切り上げた。1週間後,ドアをくぐってやってきたアユムは,道家さんに近づいて,その腕の中に抱きしめられた。

7月6日には,2人目の訪問者をブースに迎え入れた。キム・バードさん,イギリスの研究者である。ほとんど未知の人に対しても,やや慎重なそぶりだったが,アユムは恐れるふうもなく近づいていった。アイは静かに見守った。

新しい出会いが,アユムの世界を広げようとしている。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年07月16日の、 『おかあさんと離れて』を転載したものです。