提供:伊谷純一郎アーカイブ 51年9月,宮崎県・幸島の対岸で.今西さん(中央)を囲む教え子の川村さん(左),徳田喜三郎さん(後列),伊谷さん(右)
51年9月,宮崎県・幸島の対岸で.今西さん(中央)を囲む教え子の川村さん(左),徳田喜三郎さん(後列),伊谷さん(右)

あまり一般に意識されていないが,先進国の中でサルがすむ国は日本だけである。米独英仏など,北米とヨーロッパには土着のサルがいない。従って,イソップ物語にも,グリム童話にも,マザーグースの話にも,サルが主人公の話はない。日本には,桃太郎のサルや,サル・カニ合戦のサルの話がある。日本人はサルの民話に慣れ親しんで育ってきた。温泉につかるサルや寺の境内に出てくるサルを実際に見たという人も多い。一般の人々のこうしたサルへの高い関心が背景にあって,日本の霊長類学はユニークな発展を遂げた。

日本の霊長類学の父は京都大学の今西錦司さんだ。今西さんの研究の出発点は,「棲み分け」の発見だ。渓流に住む4種類のカゲロウの幼虫が,流れの速さに応じて場所を「棲み分け」ている。川底の石を丹念にひっくり返し,その暮らしを確認した。調和して生きる生物界の全体に思いをはせ,人間の進化につながる霊長類の研究を志した。

48年,川村俊蔵さんと伊谷純一郎さん(当時ともに理学部の学生)を連れて,宮崎県の幸島に野生のニホンザルを見に行った。当時,生態学は今ほど一般的な学問ではなかった。生物学は「死物」の学問だった。薄暗い部屋に標本が並ぶ。野山から採集してきた死体を,瓶に入れ,押しピンで留めて,その形態を記載し分類することが学問のすべてだった。

欧米にも霊長類学の伝統はある。しかし,それは日本のものとはだいぶ様子が違う。大航海の時代,ヨーロッパ人がはるばるとアフリカの奥地に分け入った。そこで,珍しいサルの仲間を見つけた。撃ち殺して持ち帰った。チンパンジーもその一つだ。17世紀にイギリス国王に献上されたのが記録としては一番古い。大学や博物館に,そうした骨格標本が今も多数残っている。やがて生け捕りにするようになった。

19世紀には各地に動物園ができた。見せ物にする。そうした中で,サルの仲間の知性が人目をひいた。チンパンジーは道具を使いこなし作る。野生での暮らしを追う研究が本格的に始まったのは20世紀後半である。

今西さんらは,木々の間に見え隠れする野生ニホンザルの姿を追い,双眼鏡で観察し,行動を克明に野帳に記録した。そうした営みが学問になるとはまだ誰も思っていなかった。ニホンザルの社会の全容が見えてきた。秋から冬にかけてだけ交尾する。春から夏にかけて子供が生まれる。順位がある。「リーダー」がいる。群れとしてまとよっていつも一緒に行動する。時に「ハナレザル」「ヒトリザル」という単独者がいるかそれはすべて男性だ。男性は生まれた群れを出て行く母系社会だ。「芋洗い」など群れに固有な文化がある。すべてが新発見だった。

今西さんは79年に文化勲章を受章した。「霊長類学の確立」が授賞理由である。

日本の豊かな自然とサルに親しむ文化が,日本の霊長類学をはぐくんだ。撃ち殺さない,生け捕りにしない,野生の暮らしの詳細な観察から学問が始まった。それを貴重に思う。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年09月03日の、 『今西錦司生誕100年』を転載したものです。