伊谷純一郎アーカイブ提供 伊谷純一郎さんとジェーン・グドールさん
伊谷さん(左)とグドールさん=ゴンベストリームで60年9月

伊谷純一郎さんが亡くなった。26年のお生まれで75歳だった。48年,京大理学部1回生の時,今西錦司さんについて宮崎県幸島の野生ニホンザルの調査に行った。日本の霊長類学の夜明けである。

伊谷さんが克明に残した記録を見ると,最初の7年間に,北は下北半島(青森県)から南は屋久島(鹿児島県)まで,全国13力所の野生ニホンザルを見に行っている。延べ50回の調査行で,合計869日間,野山でサルを見続けて過ごした。うち27回通って紡ぎ出された「高崎山のサル」は,ニホンザル研究の最初の本であり,毎日出版文化賞を受けた。処女作のみが持ちうる香気の漂う,29歳の作品である。

58年,伊谷さんは今西さんと一緒にアフリカに行き,タンザニアなど8カ国をまわって,ゴリラとチンパンジーの野外調査への道を切り開いた。60年,2度目の調査は単独行だった。岩波新書の「ゴリラとピグミーの森」にまとめられている。3ヵ月ほどのアフリカ紀行だが,旅のルートの大半が日本人として最初のものだった。本の扉はマウンテンゴリラの写真。地図には,チンパンジー,ゴリラ,ライオン,ゾウなどの印が所狭しと並んでいる。アフリカ探検の書である。私の同世代には,この本を読んで霊長類学を志したという者が多い。

60年の一人旅の途上,伊谷さんはタンザニアのゴンベストリームを訪れた。ジェーン・グドールさんに会った。2ヵ月前から,グドールさんはそこで野生チンパンジーの調査を始めていたのだ。最初の出会いはこう描かれている。「カーキー色のズボンをはき,はだしで,靴は従者の一人に持たせていた。手には草花を入れたポリエチレンの袋を持ち,首から小さな双眼鏡をぶらさげていた。アメリカインディアンのように日焼けして,健康そうだった。20歳くらいの,まだどことなく子供っぽさの抜けきらない,美しい人だった」。東と西が,アフリカで出会った。グドールさんの現地での研究は41年後の今日も続いている。

伊谷さんは,その後も毎年のようにアフリカに出かけた。今西さんが定年退官した後,アフリカ調査のリーダーを引き継ぎ,たくさんの後進を現地に送り込んだ。グドールさんが一ヵ所に長くとどまったのに対して,伊谷さんはアフリカを広く歩き回った。類人猿だけでなく人々の暮らしや自然そのものをめでた。野生チンパンジーの研究に父母があるとしたら,グドールさんが母で,伊谷さんは父だったのだと思う。

私は,69年,東大紛争の年に京都に来た。同じ大学とはいえ哲学を志望した。京都にも霊長類学にも関心は無かった。山登りに忙しかったので,伊谷さんの講義は履修したが一度も出ていない。19の春,初対面の日を思い出すと冷や汗が出る。山岳部の縁で,「リポートを書きますから単位をください」とお願いしに行った。そういう時代でもあったのだが,温顔をくずさず,快く受けてくださった。指示されたダーウィンの本を読んだ。長く淡いお付き合いだったと思う。今年3月,今西錦司生誕百年記念の件で今西さんのお宅でお会いしたのが最後になった。10月7日午後3時,京大法経一番教室で「お別れの会」が催される。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年09月11日の、 『伊谷純一郎さん追悼』を転載したものです。