撮影:平田明浩.提供:毎日新聞社
コンピューターを使った勉強を続けるアユム

日本学術振興会の「日米先端科学シンポジウム」に招かれ,今月10日の1日だけ様子を垣間見た。米国科学アカデミー(NAS)が89年から,「科学のフロンティア」というシンポジウムを毎年1回開催している。物理,化学,生物,数学など,自然科学系の若手研究者の学際的交流を促進し,科学研究における次世代のリーダー養成を意図している。

米国に始まった「科学のフロンティア」構想は国際的に広がった。米独,米日,米中の2国間プログラムが現在進行中で,来年からは米印が始まるそうだ。米日は今年で4年目になる。招かれるのは,日本人若手研究者40名,米国人若手研究者40名。米国側は若いが著名な賞の受賞者たちである。彼らが,よる4日間寝食をともにして討議する。

そうした若い人々を相手にチンパンジーの話をする機会を得た。講演終了後,実にたくさんの活発な質問があった。学問の壁を軽やかに乗り越えて,おくせず質問するところがおもしろい。2週間前,カリフォルニア大学バークリー校で私の講演を聴いた,という青年がいたのにも驚いた。自然科学は,着実に「ボーダーレスで(境界のない)」,「グローバルな(地球規模の)」方向へと向かっている。

今回のトピックスは八つ。「プリオン」「ボース・アインシュタイン(BE)凝縮」「キラル」などだ。プリオンは,狂牛病(牛海綿状脳症)の病原体であるたんぱく質。BE凝縮の解明は,本年度のノーベル物理学賞の対象になった。キラルは,ノーベル化学賞の受賞が決まった野依良治さんが研究対象とした光学異性体が持つ性質のことである。重要でタイムリーなテーマばかりだった。今回の参加者の中から,将来のノーベル賞受賞者か出るだろう。

科学のフロンティアに接して,別のことを考えた。こうした知恵を生み出す人間の脳それ自体は,3000年前の縄文人のそれと何ら変わりが無い。哺乳類でみると,進化によって別種の生物が生まれるには平均して約150万年かかっている。ヒトが進化して別の生き物になるには途方もない時間がかかる。3000年という時間では,ヒトという動物は本質的には何も変化しない。脳は大きくなっていないし,特別賢くなってもいない。縄文人の子供が現代日本にタイムスリップすれば,間違いなく携帯電話やコンピューターを操るだろう。違うのは,成育する環境であり,教育であり,どのような経験を積むかだ。

どんなに科学が進んでも,それを担うのは一人一人の人間であり,その人間は縄文時代の人とほぼ同じゲノム(全遺伝情報)しか持って生まれてこない。昔も今も,人と人とが出会って,「同じ釜のメシを食べる」という実体験からしか真の交流は進まない。

そうした人と人とのきずなを作るところから学問を考えると,人間の振る舞いそのものを科学することや,いわゆる人文系の諸学問が,今こそ重要なのではないだろうか。人間という動物の本来の姿や,持って生まれた制約を,深く意識することが重要だ。相手の国の歴史や文化をもっとよく知り,そして逆に,自分を相手に理解してもらう努力が大切だろう。

この記事は, 毎日新聞 連載"松沢哲郎のチンパンジーは進化の隣人" 2001年10月16日の、 『科学のフロンティア』を転載したものです。