比較認知科学という研究領域がある。認知機能の総体である「こころ」をあらゆる側面から実証的に探る認知科学の中で、「こころはいかにして進化してきたか、そしてそれはなぜか」を問うというきわめてユニークなスタンスの学問である。心理学であり、生物学であり、そして歴史科学でもあると言ってよいだろう。この目的のために、私たちは、ヒトに近縁なチンパンジーなどの霊長類から、ウマ、イルカ、そしてリクガメといったさまざまな動物を相手に彼らの持つ認知機能をラボと野外で研究している。

動物と宇宙の関係は、遠いようで実はとても近い。歴史上はじめて「宇宙」に飛び出した動物はヒトではなくアカゲザルだった(その前にハエが行ったそうだが)。その後、HamとEnosという2人のチンパンジーもヒトに先だって宇宙飛行をした。しかし、これらは宇宙飛行の技術開発における人間の「身代わり」としての例である。1940年代末から60年代にかけての話だ。アポロからスカイラブ、そしてスペースシャトルの時代を経てISSの現代では、「宇宙生物学」の旗のもと、宇宙における研究対象として数多くの種類の生物が宇宙に滞在している。ヒトも含めて。

認知科学はこころの実証科学であると述べた。これまで、宇宙を舞台にした生物学や医学の研究は数多くなされてきたが、心理学・行動学・認知科学の研究が最前線でクローズアップされることはあまり多くはなかった。宇宙飛行士の訓練時における超閉鎖環境/小集団生活での社会心理学的な影響の研究は、その実践的重要性から数多くなされてきたのだろうと推測できる。一方で、地球を離脱し宇宙ステーションという微小重力環境下に長期滞在する中で生じる認知機能の変化については、世界的に見ても大々的に行われているという感じではない。それよりも、離脱-滞在-帰還の際に生じる「身体的変化」とその対処の方が重要だったのだろう。

しかし、重力環境の変化は、確実に認知機能にも変容をもたらすはずだ。それはヒトが1Gの環境に適応してきた生物だからである。重力により否応なく認識せざるを得ない鉛直軸方向の特異性が、私たちの空間認識や物理的事象の因果関係の認識に影響をおよぼしているはずだが、そのような影響は地上では調べることができない。また、微小重力の短期暴露から長期順応への効果の変容も興味深い。こういったある種の極限環境における心の働きを調べる研究領域として「宇宙認知科学(Astrocognitive Science)」という名前を思いついた。しかし残念なことに、世界には(あたりまえだが)同様のことを考えている研究者はそれなりにいるようだ(もちろん京大にもいらっしゃる)。ただし、“astrocognition OR astrocognitive”でググスカってみる(「Google Scholarで検索する」という意味)と、まだ19件しかヒットしないので、実は前途有望なのかもしれない。

チンパンジーは「物は真下に落ちてくる」と思っている
図1. チンパンジーの認知における空間方向の影響。チンパンジーは「物は真下に落ちてくる」と思っている。 右図のようにチューブをクロスさせても真下に手を差し出す。
チンパンジーも「光は上からさす」と思っている
図2. チンパンジーの認知における空間方向の影響。左図を見ると凹面の中に凸面の円が並んでいるように 見える。これは、私たちには「光は上からさす」という前提があるからだと考えられている。実は、チンパン ジーの赤ちゃんにもこのような知覚がある(右図)。写真で示された凹凸のうち、凸面の方に手を伸ばす。

微小重力環境とその反対側である過重力環境下でのこころの働きを理解することは、「こころの進化」を考えるうえでも極めて重要だ。理由は先に述べたものと全く同様である。生物の進化の舞台が1Gに移ってから幾星霜、身体構造だけでなく、認知機能もこの不可避的な環境条件の制約を受けてきた。比較認知科学では、こころの進化における適応環境の影響の検討ということが大きなテーマとなっている。ここでいう適応環境は、従来、生態的あるいは社会的環境が強調されてきたが、その基底にあるのは物理的環境だ。多様な物理的環境への適応が生態的知性や社会的知性に制約を加えるであろうことは容易に想像がつく。そこで、このような観点から、私は、樹上環境に適応してきたチンパンジーを対象とした比較認知研究を軸足に(図1、図2)、イルカやウマを対象とした認知研究にこの10年ほどチャレンジしている(図3)。特にイルカは他の哺乳類とは異なり、海という重力と浮力が釣り合うことができる環境に適応してきた。宇宙飛行士の訓練においても水中の訓練が行われているのは周知の事実だ。イルカたちの「こころ」を知ることは、実は、宇宙への適応を知る搦手からのルートを提供してくれるかもしれない。また、チンパンジーなどの樹上性の生物は、常に重力と自らの身体との関係を意識せざるを得ない環境に暮らしているといえる。彼らの住む場所は「落ちたら死ぬ」場所なのだ。こういった環境への適応が身体への自覚を醸成し、それが自己意識の進化につながったと主張する研究者もいたくらいだ。多様な物理的環境への適応がもたらすこころの進化への影響という視点を宇宙認知科学にもたらすことで、あるいは、宇宙認知科学的な視点(極限環境下での認知機能の働きを探る)を比較認知科学に持ち込むことによって、双方にユニークな展開が開けるかもしれない。私は名前をつけるのが好きなので、そのような展開を「比較宇宙認知科学(Comparative Astrocognitive Science)」と呼ぼうと思う。幸いこのようなことを言っている人は世界広しといえどもほとんどいないようだ。

ウマのこころ、イルカのこころ
図3. ウマのこころ、イルカのこころ。モニタを用いて視覚認知研究を展開している。
潜水認知科学(Underwater Cognitive
Science)
図4. 潜水認知科学(Underwater Cognitive Science)。かごしま水族館での研究の様子。

比較宇宙認知科学が従来の宇宙生物学と根本的に異なるのは、動物たちをISSに打ち上げようなどとは考えていないという点だ。比較認知科学の成果を宇宙認知科学や他の極限環境下での認知機能を調べる研究と双方向的にリンクさせていくことによってブレークスルーをもたらしたい。その観点から、最近は「潜水認知科学」という試みも始めた(図4)。山岳認知科学についてはすでに京大高等研究院の松沢哲郎氏が先鞭をつけている。その先は「飛翔認知科学」、「高所認知科学」だろうか。

比較認知科学は「歴史科学」だと述べた。目の前にある進化の結果である多様なこころの研究を通して、こころの進化の原因を探る、という意味だ。しかし、比較宇宙認知科学は「ヒトはどのように進化していくのか、そしてそれはなぜか」という「未来予測科学」の側面ももたらしてくれるだろう。そう遠くない将来、長期滞在型の衛星/惑星探査が始まり、その先には「宇宙居住」が視野に入ってくる。その時には必ずこころの適応に関する全方位的な知見が必要になる。かつて私は、「比較認知科学はタイムマシンができたときにアウストラロピテクスとうまくやっていくために必要な学問である」とうそぶいたことがある。今は、あえて言おう、「比較認知科学はミレニアムファルコンができたときに必須の学問である」と。

比較認知科学者は宇宙をめざす。めざすべきだ。

この記事は,宇宙総合学研究ユニットNEWS 2018年2月号の記事『比較認知科学者は宇宙をめざす』の内容を転載したものです。