十九の夏だった。祇園祭の山鉾を曳いた。学生アルバイトである。葵祭は二度、時代祭は三度、装束をつけて参加した。三大祭を観客として見たことはない。

今年度の前期に、「霊長類学のすすめ」というリレー講義を担当した。四月に三回講義して次の教官に引き継いだ。主に一回生を対象にした科目である。履修者が約六百名。ということは、京大の新入生の約五人に一人がこの科目に接したことになる。教室はいつも立ち見が出るほど満員たった。それが最後まで続いたそうだ。静聴してくれた学生諸君に感謝したい。

七月の最後の授業を試験にあてたので、わたしも監督のために京都に出て来た。東山四条、八坂神社の前を通りかかると、コンチキチンの祇園囃子が風に乗って聞こえてきた。暑い陽射しのなか、編み笠をかぶリ、半被を着て、わらじを履く。「エンヤラヤー」の掛け声とともに、重い山鉾を力いっぱい引っ張る。その綱の感触が手に甦った。

大教室で、試験問題に取り組んでいる学生諸君の顔を見た。授業のときは、そうしたゆとりはなかった。話の組み立てを考え、言葉を選び、講義することに一生懸命たった。今回初めて、じっくりと彼らの顔を味わった。「試験」ということもあるのだろうが、みな瞳に力が宿っている。面構えが良い。一人一人を見ると、顔も服装もはなはだしく違うのだが、二十歳前後の青年だけがもちうる香気のようなものがあった。

年度当初の予定では、資料の持ち込みは可だった。それを試験の直前に不可とした。事前に伝えはしたが、周知されていなかった。「なぜ不可ですか」と問いただす学生がいた。理由を説明した。納得してくれたようだ。また、試験問題の中に一カ所、「誤り」と認めても良いほどの欠陥があった。静かに手を挙げた学生が、「これはまちがいではないですか」と言う。なるほどと思う指摘だ。しかし、「そうだ」ととも、「そうでない」とも、その場で言うことはできない。試験を公平・公正に続行するために、「この設回はそのままに、君がそう思う、その出題者の意図まで汲み取って答えなさい」と言った。苦し紛れの言い訳だ。でもその一言で、事態を一段深く理解してくれたようだ。ことばで自分の考えをはっきりと主張し、ことばをしっかり受けとめる。爽やかな態度だった。試験後、一様に、わたしの前を軽く会釈して通り過ぎる。そんな礼節があることにも驚いた。

自分は、どんな若者だったのだろう。三十年前の記憶をたどってみる。真摯に生きていたつもりだが、まだ人生の何ほども経験していなかった。喜びや悲しみの底が浅かった。嬉しくて泣き、哀しくて泣く。その涙はやがて乾くが、歳月とともに澱のようなものが心に溜まってゆく。白いものも黒いものも、それぞれに灰色を帯びてくる。あの二十歳前後のころ、将来に対する漠とした不安はあったが、眼差しに翳りはなかった。京都で過ごした七年半を懐かしく思い出した。

学生たちの眼差しの力強さと、京都の夏の暑さは、今も昔も変わらない。

この記事は,京都新聞 連載"現代のことば" 2001年07月25日の、 『十九の夏、祇園祭』を転載したものです。