スペースシャトル「コロンビア号」の事故を、旅先の京都で見たテレビ・ニュースで知った。十七年前の事故を思い出した。一九八六年一月二十八日、フロリダ州の宇宙センターから打ち上げられた「チャレンジャー号」が、発射七十三秒後に爆発を起こし、機体は大西洋上に落下した。ハワイ生まれの日系人エリソン・オニズカさんや、高校教師のクリスタ・マコーリフさんら七人の乗組員全員が死亡した。

わたしは、ちょうどその前後の二年間あまり、アメリカに留学して家族とともにペンシルベニアで暮らしていた。チャレンジャー号のフライトは、多くのアメリカ人がテレビで注目していた。わたしもテレビを見ていた一人だった。とくに、ニューハンプシャー州の高校で歴史を教えていたマコーリフさんが、史上初の一般人として搭乗しており、周回軌道上から生徒たちと交信する予定だったからである。

「誰でも宇宙に行ける」という時代の到来を告げるプログラムだった。金米一万一千五百人の教師が応募したという。学者も医者も作家もいた。でも、選ばれたマコーリフさんは、ごくふつうの教師だった。一九四八年生まれ、当時三十七歳である。高校時代に知り合った夫君とのあいだに一男一女の子どもがいた。

六九年のアポロ宇宙船の月面着陸を頂点に、人々の関心は宇宙や宇宙飛行から徐々に後退し始めていた。宇宙飛行士という、特別な訓練を受けたスーパーマンのような人だけの世界だったからだ。何も特別な訓練を受けていない一般人を、しかも教師を宇宙に派遣する。NASAのねらいどおり、マコーリフさんの登場で、人々の関心は再び宇宙に向けられた。そしてリアルタイムに、皆が見つめる中で悲劇が起きた。あっと思ったあと、声が出なかった。アメリカ中の家庭で、職場で、人々が言葉を失った。

彼女の死後、その死を悼むたくさんの記事が書かれ、いくつかの伝記が発表された。わたしも買って読んだ。彼女の座右の銘は、「アイ・タッチ・ザ・フューチャー、アイ・ティーチ」だという。意訳すると、「わたしは教師、未来に触れている」。彼女の着ていたTシャツに書かれていたことばだそうだ。

わたしの父は小学校の教師だった。母も教師だった。先年亡くなった兄も、その息子も教師だ。自分自身もいわば教師である。生徒がチンパンジーで、まさに毛色がちょっと変わってはいるが、日々の暮らしは学校生活と言ってよい。毎朝九時から一時間半、アイと息子のアユムの勉強につきあっている。毎日が新しい。子どもは日々学んでゆく。そうした目から見て、多くの教師と同様にわたしも、「教育とは未来に手を触れることだ」と共感できる。

マコーリフさんの宇宙飛行はわずか一分あまりで終わった。彼女の生涯も道半ばで終わった。でもその志は、彼女に関する記憶とともに、人々の心の中に受け継がれている。その死後、同僚の教師が発案し、有志が集って、彼女が教えていたコンコルド市にプラネタリウムを建設した。九〇年に開館した「クリスタ・マコーリフ・プラネタリウム」である。わずか九十二席の施設だが、コンピューターを駆使した空間だ。年間三万人の生徒が訪れる。そして彼女が夢見た星空を見上げながら、宇宙について学び、科学と人間性の調和を体感している。

この記事は,京都新聞 連載"現代のことば" 2003年02月26日の、 『タッチ・ザ・フューチャー』を転載したものです。