穏やかな連休を過ごした。朝食当番の朝、道端にあざみの花が咲いていた。二株あった。丈が三〇センチほどある。とげのあるぎざぎざの葉に用心しながら引っこ抜いた。

運動場の塔の上にいたアイが、目ざとくわたしの姿を見つけた。近寄ってきて片手を高く差し伸べる。あざみを投げ入れると、じょうずに受け止めた。アイは塔の上に戻って食べ始めた。とげなど物ともせず、むしゃむしゃ食べる。

アイの息子アユムは四月で満三歳になった。ほかに、クーちゃん、パルという女の子がいて、全部で三人、ほぼ同い年のちびっこチンパンジーがいる。あざみを食べるアイの顔を右からクーちゃん、左からアユムがのぞき込んだ。顔に顔をくっつけんばかりにするのが、チンパンジー流の観察方法である。

母親が手にしたあざみにアユムはそっと口を近づけた。生まれて初めてその葉っぱを一口かじってみる。そしてまた母親の顔をのぞき込んだ。クーちゃんは、じっとのぞき込んだままで葉っぱに目をつけない。アユムのようには勝手なまねができないようだ。親は自分の子どもにはきわめて寛容だが、最近は、よその子ともにはじゃけんにすることがある。子どもが大きくなるにつれ、その落差が顕著になってきた。

ちょうど 一本目をアイが食べ終えたころ、アユムが後足で立ち上がって、口をとがらせて、「フ、フ、フッ」と声をあげながらアイの方に手を伸ばした。「ちょうだい」という意味である。アイは、アユムの手を振り払いながら、あざみの中ほどを急いで口でかみ切った。そして、腕をぐいっと突き出すようにして半分をアユムに手渡した。よく見ると、根と土のついた下半分を渡している。おいしい葉っぱの多い上半分は自分用で、子どもには「これでもお食べ」ということなのだろう。とりあえずあざみを手にしてアユムは満足したようだ。そっと口を近づけては、ほんの少しかじる。アユムがもたもたしている間にアイは上半分を食べ終えた。すっと手を伸ばして、アユムの手に預けてあった下半分を取り上げた。

アイたちがひしめいていた小さな台の上に、ペンデーサも乗っていた。アイの幼なじみである。見ているだけで、あざみに手を出せない。そこに遅れてパルがやってきた。台によじ登ろうとすると、アユムがパルの顔を引っかくように手を出した。アユムの小さな意地悪だ。パルはアユムの手を逃れて、ペンデーサおばさんの足元にまわり込むようにして、なんとか台によじ登っだ。最近パルは、母親のパンよりもペンデーサに抱かれていることが多い。あざみを食べ尽くすアイのようすを、パルもしっかりとのぞき込んだ。

あざみがけっこう好評だったので、翌日、学生たちと、いたどりを採りに行った。スカンポとも呼ばれるタデ科の多年草である。よく注意してみると、川の土手などにたくさん生えている。どっさり採って、どっさり運動場に投げ入れた。おとなたちは熱心に食べた。アユムも、クーちゃんも、パルも、おとなの食べるようすをじっくり観察したあと、いたどりをくすね取って自分たちもかじってみる。ひとしきり食べ終わると、体のまわりに敷き詰めて陣地のようにした。五月の明るい陽射しを浴びて、わたしも久しぶりにいたどりをかじってみた。酸っばい味がして、遠い昔を思い出した。

この記事は,京都新聞 連載"現代のことば" 2003年05月15日の、 『あざみ、いたどり』を転載したものです。