日本学術振興会が「先端研究拠点事業」を始めた。その第一号として、「人間の進化の霊長類的起源」を探るHOPEプロジェクトが選ばれた。京都大学霊長類研究所とドイツのマックスプランク進化人類学研究所の共同事業である。調印式のためにドイツを訪問した。相手方は、一九九七年に創立された新しい研究所である。

ドイツにとって「人類学」という言葉は重い。ナチス・ドイツが、人間の頭部形態の計測結果をまことしやかに解釈して、アーリア系人種の優秀さをでっちあげた。それは、数百万人のユダヤ人虐殺につなかった。戦後長い時間をかけてその過去を反省し、ようやく一九九〇年代になって、「進化人類学」という新たな旗のもとに、人間の進化的起源を問う研究を開始したのである。

現代に生きる人間は、体つきや肌の色がどうであれ、すべてサピエンス人である。そうした確固たる真実を基盤に、進化人類学研究所は、言語、認知発達、野生類人猿、化石、ゲノムという五つの学問領域から人間の進化に科学的な光を当てようとしている。ライプチヒに建てたのは、旧東ドイツ地域への経済的なてこ入れのためである。五大部門の長はいずれも非ドイツ人だ。世界で最高の人材を、国籍を問わず採用した。しかし次代は、そこで学んだドイツの俊秀が取って代わるだろう。過去への反省を踏まえ、現実の利益に目配りし、しかも将来を見すえた国家的指針のもとに、新しい学問がつくり出されようとしている。

物事を深く受け止めて将来の礎とする。同様のことを、首都ベルリンの中心部にそびえ立つカイザー・ヴィルヘルム記念教会で実感した。第二次世界大戦で空爆を受けて崩壊した姿をそのまま残して記念資料館とし、それに隣接してモダンな教会が建てられている。いすに腰掛け静寂な一時を過ごした。内部はいたってシンプルで、高さ三メートルほどの黄金に輝くキリスト像が中空に立っている。手のひらほどの大きさの、一枚一枚異なるステインドグラスが、八角の建物の壁面を覆っている。数えてみたら一万四千枚あった。

いわば東京・銀座のど真ん中に、広島の原爆ドームが建っている。日々の喧騒のなかにあって、否応無く目に飛び込んでくる圧倒的な姿から、「過去を水に流さない」という明確な意思を感じる。ひるかえって日本のことを考えた。同じ戦争でわが国が記憶すべきことは、まずヒロシマ・ナガサキだろう。原子爆弾の投下で約二十万人といわれる非戦闘員の命が奪われた。

わたしは一九五〇年の生まれなので、考えてみると生まれるわずか五年前の惨事である。阪神淡路大震災やオウムの事件は記憶に新しいが、それでもすでに九年が経過している。誰でも直接経験したものは忘れないが、そうでないものは常に記憶を新たにしないと風化してしまう。原爆の記憶は、わずか一世代で忘れてよいはずがない。帰国してすぐ、ヒロシマ・ナガサキの記録を探した。インターネットで注文した本はすぐ手に入った。写真と絵と文章の記録が、現代の日本に生きる者が必ず知っておくべきこと、けっして忘れてはならないもの、を明白に伝えている。炊き出しのにぎり飯を片手に持ってぼうぜんと立ち尽くす子どもの写真に、胸がつかえた。同じ過ちを繰り返してはならないと思う。

この記事は,京都新聞 連載"現代のことば" 2004年04月02日の、 『ベルリンからヒロシマ・ナガサキへ』を転載したものです。