チンパンジーのアイが息子のアユムを産んで四年が経過した。アユムはまだ母乳を吸っているし、夜は母親に寄り添って寝ている。二〇〇〇年に誕生した三組のチンパンジー母子をつぶさに見てきた。人間に勝るとも劣らない親子のきずなの深さを実感している。

彼らの寿命は約五十年。したがって、一.五倍するとだいたい人間の年齢に釣り合う。四歳のアユムは、人間の六歳、ちょうど小学校にあがるころだ。そこでこの四月から、アユムもコンピューターに向かって本格的な勉強を始めた。「アイ、アユム」と呼ぶと、彼らが運動場から建物の中に入ってくる。勉強部屋には二台のコンピューターがあって、親子で並んで勉強している。

わたしが担当しているのは朝の一時間目。九時から十時半までの九十分授業だ。アラビア数字の順番の勉強をしている。タッチパネル付きモニタ画面の中央下に、開始を意味する白丸が現れる。それに触れると、画面のでたらめな場所に1と2の二個の数字が現れる。1を触れるとそれが消え、さらに2を触れるとそれも消えて、正解のチャイムが鳴り、干しぶどう1粒がもらえる。ただし先に2に触れると、画面から数字が消えてブザーが鴫る。これができると、123、1234と順次数字が増えていく。

勉強を始めてからまる二ヵ月が経過して、アユムは12345までの数字を90%以上の正解率で順番に触れるようになった。ただいま6に挑戦中。でたらめにやっても偶然に正解する確率は1%以下なので、数字の順番を理解していることはまちがいない。母親のアイは数字の意味までわかっているが、アユムはまだ意味までは知らない。小さな子どもが湯船に肩までつかって、意味もわからず12345と唱えるのと同じである。

正解するとチャイム、間違えるとブザー。次々に問題を解いていく。午前二コマ、午後二コマ、先生も課題も変わってそうした勉強があるのだが、四歳の幼児がじっと座って勉強している。おとなしくコンピューターの前に座っているようすを見て、見学の方々は一様に驚くようだ。秘訣は何かとたずねられることが多い。

勉強を教える秘訣は二つあると思う。第一に、毎日、決まった時刻に続けること。わたしの場合、いつも八時に研究所に行き、九時からアイたちの勉強が始まる。日曜日だけはアイたちの勉強をお休みにしているが、「毎日続ける」という心構えがたいせつだろう。

第二に、生徒であるチンパンジーに、つねに正確で安定したフィードバックを即座に返すこと。コンピューターを利用した課題をよく使うのはそれが理由だ。生徒が同じことをしているのに、ある時はほめ、別の時にはしかるというのは良くない。また、しばらくたってから「さっきは良かったよ」とか、「今忙しいからあとでね」ではだめで、すぐに応えなければならない。そうするためには、結果として、つねに生徒を見守っている必要がある。

チンパンジーの勉強を見守り続けてきた。彼らの知性をもっと深く理解し、何とかそれを引き出したいと願った。そうした日々を積み重ねるなかで、教える者と学ぶ者とのあいだに、おのずからきずなが生まれる。今のわたしは、たしかに教え続けてはいるが、逆に、チンパンジーという生徒によって励まされ、見守られているのだと思う。

この記事は,京都新聞 連載"現代のことば" 2004年06月09日の、 『見守る日々』を転載したものです。